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2010/06/14

インクレディブル・ハルク

監督:ルイ・レテリエ
出演:エドワード・ノートン/リヴ・タイラー/ティム・ロス/ティム・ブレイク・ネルソン/タイ・バーレル/クリスティーナ・カボット/ピーター・メンサー/ルー・フェリグノ/ヒクソン・グレイシー/ロバート・ダウニー・Jr/ウィリアム・ハート

30点満点中17点=監4/話2/出4/芸3/技4

【哀しき緑の巨人】
 米陸軍が極秘裏に研究・実験を進めていた、ガンマ線による肉体強化プロジェクト。自らを被検体にした科学者ブルース・バナーは「心拍数が200を超えると緑の巨人に変身する体」となり、逃亡の道を往く。彼を執拗に追うのは実験の責任者であるロス将軍。将軍の娘でブルースの恋人だったベティや、強化された肉体を手に入れようとする兵士ブロンスキー、ブルースの協力者ミスター・ブルーらを巻き込んで、追跡と激闘が始まる。
(2008年 アメリカ)

【スピードと迫力と作りの確かさ】
 監督はルイ・レテリエ。ディテールに難のあった『トランスポーター』から、その続編『トランスポーター2』では「オープニングからラストカットまで突っ走る。しかも『見ればわかる』という作り」を見せ、『ダニー・ザ・ドッグ』ではコミック的なまとまりのある映画を完成させた。
 撮るごとに、着実に成長しているという印象は、本作にもうかがえる。

 まずはオープニングが秀逸。実験の失敗、ブルースとベティの関係といった物語の背景を、タイトルバックだけで処理しちゃうという力技・潔さに驚かされる。以後も、逃走劇、心拍計によるスリル、銃撃、いつの間にかアメリカに帰ってきているというテンポのよさ、派手な爆発など、スピード感と迫力は、なかなかのもの。

 前兆として用いられる雷、最初はチラリとしか見えないハルク、後ろ向きでヘリから身を投げるブルースなど、細かな部分での見せかたの上手さ・妥当性も光る。
 特に感心させられたのは、2つの場面。
 花の溶液をワクチンにする実験の場面では、入手、煎じる、顕微鏡を覗くといった動作を中心に構成し、下手な説明は排除。まさに「見ればわかる」シーン作りだ。
 また、雨の中を歩くブルースにベティが追いつくシーンもいい。クルマが後ろに止まる、ブルースが振り返り、で、一歩だけ前に進むとブルースが陰から出て顔が見える。これによって「やっぱりブルースなのね」というベティの驚きと喜びが引き立つ。

 CGにはCG臭さがあるが、肌を流れる水の表現は見事、生身の役者の動きとのシンクロも上々。夜の格闘ではCGの不自然さが薄れ、華もある。
 エドワード・ノートンのアクション・ヒーローは「ちょっと無理めかな」とも思ったのだが、科学者としてのインテリジェンスが不可欠かつ繊細さを求められる役だから、意外と適任。それ以上に「慣れない役をやらされて」と感じたティム・ロスだって、小柄で貧相なフォルムが「強靭な肉体を手に入れたい」というブロンスキーのキャラクターに説得力を持たせている。
 リヴ・タイラーの可愛さ(さすがに、ちょっと“とうが立って”きているものの)は、いわずもがな。

 と、思った以上にイケてる要素の多い映画なのだが、『超人ハルク』であるというシバリのせいで、損をしている面もある。
 質量保存の法則を無視して巨大化する身体、ブラジルの市街地や大学構内で銃撃戦を敢行する米兵、簡単に作れてしまうライバル・キャラなど、いかにもアメコミ的な強引さにあふれ、リアリティはゼロ。
 いきなりの「ハルク・スマッシュ」も原作を知らない者には唐突このうえない。「続きは『アイアンマン』で」という商売っ気はともかく、消化不良のエンディングには納得できない(って、おい、いろんなヒーローを集結させる映画を作る気なのかよ)。

 それと、決定的に足りないのが切なさ。「ベティと愛し合えない」という場面は用意されているが、涙を誘うまでには至らず。このあたりもコミック的な“軽さ”であり、『超人ハルク』TVシリーズにある可哀想感が大好きなうちの妻には、かなり不満だろう。

 さて、この不満を楽しさへと変えるためには、マーベル・コミックをトータルで愛さないとダメだという罠。どこまで付き合おうかしら。

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