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2010/06/11

マイ・ブラザー

監督:ジム・シェリダン
出演:トビー・マグワイア/ジェイク・ギレンホール/ナタリー・ポートマン/サム・シェパード/メア・ウィニンガム/ベイリー・マディソン/テイラー・ギア/クリフトン・コリンズ・Jr/パトリック・フリューガー/キャリー・マリガン/ジェニー・ウェイド/オミッド・アブタヒ/ナヴィド・ネガーバン/イーサン・サプリー/アーロン・シヴァー/レイ・プルーイット/ルース・レインズ

30点満点中21点=監4/話4/出6/芸3/技4

【還ってきた兄、守り続けた弟】
 弟のトミーは、強盗事件を起こして仮釈放中、定職にも就かず酒に溺れる毎日だ。いっぽう兄のサムは、かつては高校の名クォーターバックとして鳴らし、現在では妻グレースや、ふたりの幼い娘イザベルとマギーに囲まれ、軍隊では中尉として働いていた。が、赴任中のアフガニスタンでサムが戦死したとの知らせが届く。打ちひしがれるグレースと子どもたちを癒すトミーだったが、死んだと思われたサムが凄惨な捕虜生活から生還して……。
(2009年 アメリカ)

★ネタバレを含みます★

【All We Need Is Love】
 やむなく部下を手にかけてしまったサムが、そのジョー・ウィリス二等兵の忘れ形見である息子と対面するシーンが、とてつもなく怖い。
 まるで悪夢のように這い出てくる赤ん坊と、凍りつく時間。紛れもなく、立って目を開いたまま死んでいる人が、そこにいる。
 この場面に代表されるように、芝居と空気とを大切にした作品だ。

 トビー・マグワイアは“それ以前”と“以後”では体型まで違って見えるほどの変わりようで、壊れっぷりを力演。落ち窪んだ眼窩に、あるときは怯えを、あるときは哀しみを宿す。
 ジェイク・ギレンホールは、ナイーブかつネガティヴな青年を静かに演じきる。足を引き摺って歩く姿には、諦め切れずに前へ進む人間の怠惰と小さな勇気が漂っている。
 ふたりとも『サイダーハウス・ルール』『スパイダーマン』シリーズ、あるいは『ムーンライト・マイル』『ブロークバック・マウンテン』など各々の出演作で演じてきた“悩める青年”を、潰して捻じ曲げてからここへ持ってきたという雰囲気。もはやこうしたキャラクターが体臭として身についてしまった感もあり、説得力に富む。

 ナタリー・ポートマンは『マイ・ブルーベリー・ナイツ』でも『ブーリン家の姉妹』でも女優魂を示してくれたが、これまではどこかに“女の子”的な部分も感じられたことは事実。それが、ほぼ初となる母親役を見事に完遂したばかりか、“大人の女”としての揺れや脆さや強さをしっかりと表現してくれている。
 そして輝く、ふたりの娘たち。ジム・シェリダン監督は『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』でも子役の扱いが抜群だった。今回、次女マギー役のテイラー・ギアちゃんも上手くて可愛いが、なんといっても長女イジーを演じたベイリー・マディソンだろう。主演の大人3人に負けない、震えるほどの芝居。素晴らしかった『テラビシアにかける橋』よりもさらにパワーアップ、もう観ているだけで涙が出てくるレベルだ。

 ただのお芝居映画にしないだけの配慮も見て取れる。
 たとえば父ハンクとトミーが言い争う際、継母のエルシーは、ふたりの中間でもハンクのそばでもなく、トミーの横に立って仲裁しようとする。恐らく彼女は、いつもそうして継子の側に立つことでケイヒル家の一員になってきたのだろう。物語の背景まで考えた立ち位置のディレクションだ。
 ラスト、サムと対峙するグレースは、目と目が合いそうになった際、一瞬だけ視線を逸らし、小さく意を決してから向き直る。そこに見える、弱さの中から光を搾り出す人間の強さ。それをしっかりとすくい取る。

 また、全体としては、ポンと1カット説明的な絵を放り込んでお話をリズミカルに進める手法を取りながら、要所ではジックリと人物たちの様子を追うような作り。ただし、ただ撮るだけでなく、冷たい空気というか、ジリジリとした“いたたまれなさ”を創出していく。

 その空気という曖昧なものをゆったりと捉えながら、毛穴までうつすシャープさも兼ね備えた撮影が、人物に実在感を与える(カメラは『コール』『ワイルド・アット・ハート』のフレデリック・エルムズ)。
 生活感にあふれるとともに鷲の置物で軍人一家であることを示すなど、ディテールにこだわる美術もいい(プロダクションデザインは『遠い空の向こうに』のトニー・ファニング)。テーマを考えればややポップに思えるサントラは、それがかえって「描かれているのは、本来ごく普通の人々」というニュアンスにつながる(音楽は『ジャーヘッド』『WALL-E』のトーマス・ニューマン)。
 シンプルなストーリーに、たとえば「グリーンピースをよける」ことでトミーがどんな風に育ってきたかをわからせたり、出番の少ない3アミーゴスたちからも優しさが滲み出ていたりなど、細やかさで奥行きを与えたデヴィッド・ベニオフ(『25時』『君のためなら千回でも』)の脚色も見事。
 パーツそれぞれが上質な映画ともいえるだろう。

 印象的なのは“不完全なもの”が散らされていること。使いにくいキッチン、テールランプの壊れたクルマ、娘の前歯も抜けていなかっただろうか。
 また舞台の大半は家の中とその周囲。クォーターバックとチアリーダーのカップルというのは「ささやかな成功者。でも、どこにでもいるふたり」の象徴だろう。
 つまりは、不完全で小さな世界で懸命に暮らす、ありふれた人たちの出来事。そんな、儚くてちっぽけな幸せが壊されるからこそ、物語は身近で痛くて哀しいものとなっていく。

 痛みと哀しみから逃れるべくサムは引き金に指をかける。思わず「引いちゃダメだ。それは負けになる」と感じた。いや、戦争や戦争に関わった人の生き死にに勝ち負けをつけることなどできない。が、自分の人としての本能は、そこで死を選ぶことは「戦争を繰り返す、人の愚かさ」に対する負けだと感じて、間違いだと叫んだのだ。
 それにサム自身、自らにとどめをさそうとしたのは、まだ心のどこかに小さく“生”が残っていたからこそだろう。それを殺しちゃいけないはずだ。

 サムの手紙に「これを読むときは、僕が死んでいるとき」と書かれていることの皮肉。と同時に「人生に確かなものが1つあるとすれば、僕が君や娘たちを愛していること」とも綴られ、そこにグレースは、真実を見る。
 サムも結局は、自分ひとりで背負いこもうとはしない。「僕は再び生きられるのか?」という問いに対する回答として、自らの苦しみをグレースに理解してもらおうとする。
 そこにあるのは、にほかならない。人を「立って目を開いたままの死」から救うのは、愛しかありえないのだ。
 それは光。けれど、そもそもこのような形で愛に縋るしかない状況を作り出してしまった人という種は、やはり愚か。そんな哀しみもまた感じる映画である。

 オリジナルであるスサンネ・ビア監督の『ある愛の風景』は未見。ただ、同じく再生の苦しみを描いた『悲しみが乾くまで』はあまりに素晴らしいデキだったし、リメイクである本作からも原作の持つクォリティの高さをうかがえる。ビア監督の諸作品を、ぜひとも観なければなるまい。

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