イントゥ・ザ・ワイルド
監督:ショーン・ペン
出演:エミール・ハーシュ/マーシャ・ゲイ・ハーデン/ウィリアム・ハート/ジェナ・マローン/ブライアン・H・ディアカー/キャサリン・キーナー/ヴィンス・ヴォーン/クリステン・スチュワート/ハル・ホルブルック/ザック・ガリフィアナキス/シュア・リンドハルト/サイネ・エグホルム・オルセン
30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4
【彼は自分を探しにアラスカへ向かう】
自分の出生の秘密を知り、口論の絶えない両親を見て育つうち“何か”に疑問を感じたクリストファー・マッカンドレス。大学卒業後、アレクサンダー・スーパートランプと名を変えて放浪の旅を続ける彼は、ヒッピーのジャンとレイニー、農場主のウェイン、北欧から来た陽気なマッズとソニア、若いギター弾きのトレーシー、革細工職人のロンらと出会い、アラスカへと辿り着き、「自然から与えられたもの」だけで暮らし始めるのだった。
(2007年 アメリカ)
★ネタバレを含みます★
【Happiness Only Real When Shared】
アラスカの山中、朽ち果てたバスの中で死体となって見つかったクリストファー・マッカンドレス。彼の道程をジョン・クラカワーがまとめたノンフィクション『荒野へ』が原作。
簡単にいえば「自分探しを続ける若者の様子を綴った」映画。ただ、クリス=アレクサンダーの内面へと深く潜り込むわけではなく、彼自身だけでなく“彼の観ている世界、彼の周囲にいる人々”をゆるやかにうつしとっていくような作り。また“周囲にいる人々”とはいっても、そこから極端な特異性は排され、ごく普通の人々だけが配されているように感じる。
特別な人生を送った実在の人物を描きながら、どこか普遍性を持たせ、観る者に共感や自分との置き換えを許す、という空気が漂う。
たとえば親世代との価値観の違いに苛立つのは、若い世代なら誰にでもあること。近しい場所に潜んでいた秘密に戸惑った経験も、多くの者が持つのではないか。それらの出来事を通じて「生きる意味」や「存在の意味」に疑問を抱くのも自然な流れだろう。
そして、名前を変え、過去を断ち切り、ひとりですべてに立ち向かう生きかたに憧れ、そこで何かを見出せることに期待する。
ところが人は、どれほど彷徨っても、生まれた場所からどれだけ遠く離れても、システムの中にいる。靴下は履かなければならないし、ブラックボックスで法を乱せばFBIが大挙して押し寄せ、川を下るには許可証が必要となり、見上げれば空には飛行機が飛び、食うためには金を手にしなければならないのだ。
本当の自由など、形としては、ない。
君が考える自由は、多くの人が流す涙の向こうにある。誰かや何かなしで生きていくことなど不可能。人は己の命を危険に曝してしまうほど無知。人はひとりで存在しうるのか? 止まっている乗り物という倒錯した世界の中で本当に何かをつかめるのか?
だいたい君は、引用でしか生を語れないじゃないか。
とはいえ、そんなクリストファーを批難するわけではない。淡々と提示することを基調としながらも、むしろ温かな視線で作られている。「君も、この世界の一員なんだよ」との呼びかけ、とでもいおうか。
もちろん彼なしでも世界は続いていくわけだが、彼と関わった多くの人を描くこと、彼の妹にナレーションを担当させることで、彼なしで「いまの、あの人」はいなかったことも、ちゃんと示してみせる。
俳優ショーン・ペンらしく、芝居を大切にした撮りかた。エミール・ハーシュはそれに全身で応えるし、大人目線でアレクサンダーの想いをどっしりと受け止めるヴィンス・ヴォーンも立派。クリステン・スチュワートは抜群に可愛く、ハル・ホルブルックは完全に「若い頃に妻子を亡くした老人」を演じ切る。カメラは人物たちの様子と、人を取り巻く自然を余すことなく捉えていく。
やがてクリスは、生きていくうえでの大原則ともいえる「自分を偽らないこと」、「Happiness Only Real When Shared」という真理へと至る。
それは若者にとって、教わって身につくものではない。何かを見つけたいという強い願望で自ら動いてこそ手にできるもの。そんな“動機”や“清々しい足掻き”を、それも君自身や社会を構成する大切な要素なのだと、エールを送るような映画である。
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