トイ・ストーリー3
監督:リー・アンクリッチ
声の出演:トム・ハンクス/ティム・アレン/ジョーン・キューザック/ネッド・ビーティ/ドン・リックルズ/マイケル・キートン/ウォーレス・ショーン/ジョン・ラッツェンバーガー/エステル・ハリス/ジョン・モリス/ジョディ・ベンソン/エミリー・ハン/ローリー・メトカーフ/ブレイク・クラーク/テディ・ニュートン/バド・ラッキー/ベアトリス・ミラー/ハビエル・フェルナンデス・ペーニャ/ティモシー・ダルトン/ローリー・アラン/チャーリー・ブライト/クリステン・シャール/ジェフ・ガーリン/ボニー・ハント/ジョン・サイガン/ジェフ・ピジョン/ウーピー・ゴールドバーグ/ジャック・エンジェル/R・リー・アーメイ/ジャン・ラブソン/リチャード・カインド/アンバー・クローナー/ブリアンナ・メイワンド/エリック・フォン・デットン
吹き替え:唐沢寿明/所ジョージ/日下由美/勝部演之/辻萬長/東地宏樹/三ツ矢雄二/大塚周夫/松金よね子/小野賢章/高橋理恵子/諸星すみれ/小宮和枝/永井一郎/きゃさりん/落合弘治/片岡富枝/谷口節/大谷咲葵/松本航輝/古口貴子
30点満点中20点=監4/話3/出5/芸4/技4
【別れのときが、やって来る!?】
もうおもちゃで遊ぶこともない、17歳となったアンディ。ウッディは大学へ連れて行き、残りは屋根裏部屋にしまいこもうとする。ところが手違いでバズやジェシーたちが保育園へ寄付されることに。捨てられると思い込んだ一行は、保育園のおもちゃたちのリーダー・ロッツォの親切さや「子どもたちに遊んでもらえる」という事実に心を動かされ、助けに来たウッディの説得に耳を貸そうとしない。しかし、この保育園には危険が潜んでいた。
(2010年 アメリカ)
★ネタバレを含みます★
【幸福な完結】
とりあえずアレだ、エイリアンたち、おまいら最高。いやはや、第1作の時点では、作っている側ですら誰もここまで重要なキャラクターに育つとは思っていなかっただろう。その間の抜けた一途さに萌え。
さて、まずは見た目だが、この15年間にピクサーが積み上げてきた技術をはっきりと確認できる仕上がり。
冒頭部のアクションや脱出劇のスピード感は素晴らしく、焼却炉のゴミの山に代表される画面の情報量も凄まじい。植え込み、布地の質感、毛並、園児の「ベロリ」などに見られるリアリズムも良。3DCGとしての表現は実に上質だ。
イスを動かす場面は「スーっ」ではなく「スーっ、ガタンスー」。エンディングのダンスでは「クイっ」ではなく「クぅイっ」。そういう反動や遊びも律儀に見せてくれるし、実写的で自然なカメラワークとアニメならではの大胆なレイアウトをバランスよく融合させる。
ライティング(サルを照らす灯りが凄い)による雰囲気作りも、音楽と場面のシンクロも、前2作以上に効いていると感じる。
デジタル3Dは「おもちゃ視線」を意識したらしく、『カールじいさんの空飛ぶ家』に比べると、やや抑え目になっている印象。ただし、全編においてモノの立体感や高低の表現の向上には寄与しており、キャラクターが勢ぞろいしたときの実在感、焼却炉での圧倒的な奥行き感も味わえる。
キャラクターに「演技をさせる」という点における作画レベルも極上。キャラクターによって歩きかたを変える(バービー&ケンの「人が動かしているような歩調」がいい)細やかさにいまさらながら感心させられるし、クライマックスにおけるバズの表情(これだけで泣ける)は、全アニメを見渡してもトップといえるほどの作画表現だろう。
人間の動き・描写も“こなれた”ことは明らかで、アンディ一家ほか人間の登場シーンは劇的に増えた(増やすことができるようになった)。その技術的発展がストーリーの構築にも影響を及ぼしているほどだ。
そのストーリーだが、思えば過去2作とも「アンディの元へ戻る」という冒険、そこからのプラスアルファがないのは残念。
傍若無人のイモムシ組、ポテトヘッドの“変身”、スペイン語ヴァージョンのバズ(スペイン語圏での吹き替え版ではどう処理したんだろう?)など笑えるパートはそれなりにあるけれど、コメディ色はやや薄くなっているようにも思える。
ビッグ・ベビーやピエロやサルなど、相変わらずグロ的・トラウマ的キャラが用意されていて、いい意味での“不健全さ”はあるものの、レギュラー陣に比べると、新キャラたちに「そのおもちゃならではの見せ場」が少ないとも感じる。
ケンの着替えシーンが『レオン』っぽいのと、ウッディが『ミッション・インポッシブル』しちゃうところ以外はパロディも少な目、日本人におもねるようなトトロの登場もちょっと気障り。「好き勝手やってやがんなぁ」度は低下しているといえる。
ただ、それらを補って余りある物語的魅力も。
たとえば第1作から貫かれる、いったん落としておいてからハッピーエンドへ持ち込むドラマ性。ウッディやバズたちには仲間としての連帯感が着実に育まれており、だからこそ“諦め”という、観る者にはショッキングな結末をともに迎えようとする。そこから一気に、彼らを観客ともども“引き上げる”鮮やかさ。
さらに涙を誘うのは、テーマ性の盛り込み。すなわち、成長と決断だ。
常に「アンディの元へ戻る」という決断をモチーフとしてきたウッディたち。その過程で培った閃き力と行動力の成長は、本作において「他のおもちゃたちとは違う。場数を踏んでいるんだ」と感じさせるほどに頼もしい。
今回も彼らは脱出・帰還に成功するわけだが、本シリーズが追い求めてきた「おもちゃの幸せ」という命題に対する回答として、おもちゃ側は「アンディの元を離れる」という決断を下すことになる。ある意味では身勝手な決断ではあるが、それが身勝手に思えないのは、彼らが「十分にやって来た。十分に成長した」と感じられるよう描かれ続けてきたからだろう。
言葉を喋らないブルズアイの健気さが「これぞ、おもちゃ。だからこそ彼らにも幸せを望む権利がある」と感じさせる。
そして最後の最後には、おもちゃ自身ではなく遊ぶ側=アンディ自身の決断を初めて描き、「人間が考えるおもちゃの幸せ」へと踏み込んでいく。アンディの成長をスタートとする本作が、まさにアンディ自身の成長と、その結果としての決断で幕引きを迎えるというのは、この映画を観るのは人間にほかならないことを思えば実に誠実な結末だろう。
かくして、パート3ではなく「3部作の完結編」として作られたという本作は、その役割をまっとうするようなハッピーエンドを迎える。
前2作を観ておいてよかったとつくづく思うと同時に、もうこれ以上観られない寂しさにも涙を禁じ得ない良作である。
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