BOY A
監督:ジョン・クローリー
出演:アンドリュー・ガーフィールド/ピーター・ミュラン/ケイティ・ライオンズ/ショーン・エヴァンス/ジェレミー・スウィフト/アンソニー・ルイス/ショバーン・フィネラン/ジェームズ・ヤング/ジェシカ・ムーリンズ/アルフィー・オーウェン/テイラー・ドハティ/スカイ・ベネット/レイ・シモンズ/マリア・ゴフ
30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3
【青年の、現在と過去】
未成年だった頃に重大な罪を犯した青年が、仮釈放の日を迎える。住む街を変え、ジャックという別の名前を手にし、保護観察官のテリーとともに新しい暮らしをスタートさせる、彼。勤めはじめた配送会社ではクリスという相棒と仲良くなり、事務員ミシェルと付き合い始めた。自分の居場所を見つけたかに思えたジャックだったが、彼の実名や成長した顔の想像図が報道され、恋人に対して隠し事をしていることが苦しみとなっていき……。
(2007年 イギリス)
【あなたは、何者か】
ジャックの現在を中心に描きながら、かつて起こったことの断片をフラッシュバックとして挿入、少しずつ全容を明らかにしていく、という作り。
監督は『ダブリン上等!』のジョン・クローリー。あちらは手ぶれやズームで強引に臨場感と喧騒とを創出する作風だったが、こちらはオーソドックスに各シーンをまとめつつ、その場の音、浅く曇った色合いなどを拾い上げて「ジャックの周囲に流れる空気」を表現する。
サウンドトラックもほぼシーンの切り替えの際だけに限られ、静謐といえる世界が生まれている。
その中でジャックは、何者でもないという姿勢を貫く。実際、名前を変えて過去を捨てた彼は、何者でもない。
少しだけ過去に苦しむが、ことさら後悔や反省している様子は見せない。ただミシェルやクリスとの接しかた、つまり現在と未来についての不安を抱えるだけだ。何者かになっていく過程、といったところか。
その焦燥を、主演アンドリュー・ガーフィールドが飾り気なく演じる(なんでも『スパイダーマン』の新シリーズで主人公を演じることになったらしい)。彼を取り巻く人たち、ピーター・ミュランのテリー、ケイティ・ライオンズのミシェル、ショーン・エヴァンスのクリスも手堅く、それぞれの葛藤が描かれることで、さらに「ジャックの周囲に流れる空気」は重く冷たいものになっていく。
印象的なのは、ミシェルがジャックに誕生日プレゼントを渡す場面。ひょっとするとそれは「新たにでっち上げた誕生日」かも知れないし、また、その日よりもかなり離れたタイミングでプレゼントしているようだ。
そこでミシェルがいう「これは私たちが出会うまでのぶん」というセリフは、実生活で使いたくなるほど素敵なものだが、その「出会うまで」に、とても祝ってもらうことなどできない重い過去をジャックが抱えているという皮肉。贈られたサイフには偽りの名が刻まれ、恐らく生涯持つことのないであろうクレジット・カードのためのスペースがたくさん用意されていることの皮肉。
重すぎる秘密の過去は、どれだけ現在と未来に心を砕こうと、幸せなはずのひとときをかくも残酷な一瞬に変えてしまうのだ。
また、向き合って、あるいは抱き合って会話するシーンが多用される。報道やウワサではなく、実際に対峙することでしか“その人”のことは理解できない、ということを示すものといえるだろう。
ただ、面と向かって触れ合っても、心の奥底や過去にまで踏み込んでいくことはできないとも示唆される。僕らは結局、報道やウワサ、その人の見た目や言動など限られた情報と印象から、その人を何者であるかを判断するしかない。
そう、恋人、同僚、少女を助けた英雄、そして悪魔の子……。ある人物が何者であるかは、その人自身ではなく他者が決めるものなのだ。
ジャックとクリスが、同じようなテーブルが並ぶ中でビールを飲む場面からは「こんな風に、秘密を抱えながら付き合っている関係は、世の中には山のようにある」という事実がうかがえる。テリーの息子の様子からは、たとえ罪を抱えていなくても、誰もが身近な人に理解されない名もなき者=少年Aなのだという可能性が浮かび上がってくる。
だからこれは、未成年者の犯罪や更生、それを阻害するものを描いた社会派ドラマ、という見た目通りのものではないだろう。
誰かをどう見るか。誰かからどう見られているか。どのような視点であっても、それは真実ではなく、あくまでその人の視点による『あの人は○○』という一方的な認識・解釈に過ぎず、それが間違っていたとしても、結局はそれが対人関係を作っていく。
そんな、生きるうえでの真理を描いた映画のように思える。
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