アクロス・ザ・ユニバース
監督:ジュリー・テイモア
出演:エヴァン・レイチェル・ウッド/ジム・スタージェス/ジョー・アンダーソン/ダナ・ヒュークス/マーティン・ルーサー・マッコイ/T・V・カーピオ/ローガン・マーシャル=グリーン/ロバート・クロヘシー/エディ・イザード/スペンサー・リフ/リサ・ホッグ/マイケル・ライアン/アンジェラ・モーンジー/エレン・ホーンベルガー/アマンダ・コール/ディラン・ベイカー/キャロル・ウッズ/サルマ・ハエック/ジョー・コッカー/ボノ
30点満点中18点=監4/話2/出3/芸5/技4
【イギリス青年 meets アメリカン・ガール】
時は60年代。イギリス・リバプールで生まれ育ったジュードは、自分が生まれたことを知らない父を探すため、アメリカへと渡る。そこで出会ったのは、奔放に生きる大学生マックスと、その妹で恋人を亡くしたルーシー。やがてニューヨークへと出たジュードとマックスは、歌手のセディ、ギタリストのジョジョ、叶わぬ恋を抱えるプルーデンスらと暮らし始めるが、彼らの周囲にはベトナム戦争の影と、反戦運動の嵐が渦巻くのだった。
(2007年 アメリカ)
【愛こそすべて】
ザ・ビートルズの楽曲を、かなり大胆な解釈で登場人物たちの心情に当てはめて(というより各曲の歌詞をもとに展開やキャラクターが作り出されている)、キャストに歌わせている映画。
そのキャスト、ビッグネームといえるのは、ゲスト出演的なボノと、いわれるまでわからないチョイ役のサルマ・ハエックくらいか。まぁ主役の若者たちも「注目のヤングスター」などと紹介されるのだろうが、世界的な知名度はかなり低いはずだ。
個人的にも、ジュード役ジム・スタージェスは清潔感のあるイケメンだと思うけれど、マックスのジョー・アンダーソンには華がなく(いや、なくてもいいんだけれど)、ルーシーのエヴァン・レイチェル・ウッド、セディのダナ・ヒュークス、プルーデンスのT・V・カーピオといった女性陣にも、少なくとも見た目に対するトキメキはない。
ただ、歌(歌唱力)主導のキャスティングであることは明らか。ネームバリューだけを気にして曲が耳障りになったのでは本末転倒であるからして、各役柄に合致した雰囲気を持っていて、もちろん歌も水準以上という、極めて正しい配役であるように思える。
驚きのゴスペル版「Let It Be」などアレンジも大胆。アップルビルでのラスト・パフォーマンスをなぞるようにクライマックスをビルの上で迎えるなど、“ビートルズらしさ”を漂わせることも忘れない。
カテゴリー的にはミュージカルだが、見せかたは「ビデオクリップの合間にストレート・プレイのドラマが入る」といったイメージ。
ビデオクリップ的部分もドラマ部分もかなり計算された画面構成・編集となっていて、コンテが細かく切られたことを感じさせる。
サイケやヒッピーといった当時のカルチャーを再現しつつ、基調となるトーンは黄昏色、“過ぎ去った時代”を鮮やかに創出する。カメラを動かし、狭い空間でも立体的に描き、登場人物とその周囲に実在感を与える。
全体として、このプランをきっちりと映画にするため、必要なことをやり切った作品、という印象だ。
もっとも、各曲の歌詞からストーリー/キャラクター/シーンを作り、それ以外は放棄に近い構成になっていて、展開は“躁”とでもいうべき早さ。お話のまとまりという点では大いに不満が残る。
それでもテーマ性・メッセージ性を失わないのは、ビートルズの楽曲の偉大さゆえか。
たとえ「nothing's gonna change my world」だとしても、時代の中で若者はいつも、飲み込まれるだけ。学ぶために失敗する存在。
だが、まだいまは進まなくてはならない。自分自身なら自分を変えられるはず。なんやかんやとあるけれど、結局は「All You Need Is Love」だと気づくまで、歩き続けるのが人間なのだ。
当方、ビートルズには何の思い入れもない(さすがにCDは持っているけれど)。だから、ビートルズには恋愛のあらゆるシーンを歌った曲が揃っていることにあらためて驚かされ(字幕を監修したビートルズ大学学長・宮永正隆の力も大きいと思われる)、クライマックスでは泣けた。
ひょっとすると、これくらいの温度で観る者がもっとも感動できる作品なのかも知れない。
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