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2010/07/16

ブロークン・イングリッシュ

監督:ゾーイ・カサヴェテス
出演:パーカー・ポージー/メルヴィル・プポー/ドレア・ド・マッテオ/ティム・ギニー/ピーター・ボグダノヴィッチ/ジャスティン・セロー/マイケル・ペインズ/フィリス・サマーヴィル/ベルナデット・ラフォン/シーリー・ハンシーズ/ヤロール・プポー/ジャン=ポール・スカルピッタ/サント・ファッチオ/ジーナ・ローランズ

30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3

【恋のできない女性】
 NYのホテルで顧客サービス担当として働くノラは、仕事もできるし美人でもある。が、彼女に夢中だったマークを親友オードリーに紹介して結婚させたり、俳優ニックと付き合い始めたかと思えば彼には恋人がいたりなど、男運は最悪だ。同僚グレンのホームパーティーで出会ったフランス人ジュリアンと“恋愛の始まり”を感じるものの、彼には想っている人がいること、すぐに帰国してしまうことを知り、一歩を踏み出せないノラだったが……。
(2007年 アメリカ/フランス/日本)

【等身大の女性の恋】
 上記あらすじや「私だけのミラクル・ロマンス」というキャッチコピーから感じられるようなハッピーで軽快なラブ・コメディではなく、インディーズ臭の強い、まったりふんわりした作品。でも、それがいい。

 俳優ニックが「恋人は大切な人」と語るインタビューを見るとか、デートの相手から「別れた彼女が忘れられない」と打ち明けられるとか、ノラの男運の悪さを具体的に示すエピソードよりも、“まったり”とした空気が閉塞感のある彼女の生活を浮かび上がらせていく。
 グレンのパーティーの微妙な居心地の悪さ。手放せない酒とタバコ。デリカシーのない周囲に苛立ちながら、やはりデリカシーのない自分もイヤになる。そんな「なんとなく恋に失敗し、それほど楽しくもない仕事を続け、いつの間にかそれなりの年になり、結婚はしたいけれど具体的な未来は見えない」という、どこにでもいそうな女性のまったりふんわりした日常をそのまんますくい取っていくわけだ。

 カメラは容赦なく、彼女のちょっと疲れた顔をうつす。美人の部類に入るはずなんだが華のないノラを、パーカー・ポージーが等身大で演じる。

 で、なんで彼女がウジウジしいてて、でもウジウジを認めず、諦めているんだか必死なんだか自分でもわからず、諦めた自分も必死な自分も認めようとしないかといえば、女性だから。

 母親の友人がノラのためのイスをさっと用意してくれる。ジュリアンは酔ったノラのために枕元へ水を置いてくれる。でも彼女は気づかない。マークとの関係に行き詰まったオードリーに優しい言葉をかけることもない。ホテルの裏方という「誰かのために働く」仕事をしていながら、プライベートで彼女が“気遣い”を意識することはない。
 そして、間の悪さを言い訳にする。飲まなきゃやっていられない、そうでもしなければ恋なんて怖いという自分を作り上げる。パートナーがいなくったって生きていけるくらいの強さはある(と自分に信じ込ませる)。何かをする理由じゃなく、しない理由ばかり数える。つまりは逃げながら暮らしている。

 それって、都会で恋に乗り遅れた女性の典型的な姿(いや、実は男も同じなんだけれど)だと、本作は語っているような気がする。
 それを否定するでもなく励ますのでもなく、少しの優しさとともに素直に撮る映画、という雰囲気だ。

 男も女も相手に「こんな人であって欲しい」と贅沢な要求を抱くけれど、そもそも相手に何か(自分の理想)を望むことじたいが贅沢。
 恋愛なんてやってみなくちゃわからない。あまりカッコよくない形の誰かの紹介でも気にしない。いっぽうで「1分遅ければすれちがっていた」という運命にも気おくれしない。
 興味があれば笑顔を見せて話してみる。「これは恋なんかじゃない」と自分を納得させようとしてもいい。実は恋愛のためには努力が必要なんだということも覚悟する。

 そうやって自分と恋愛との距離感をちゃんと自覚しながら、恋を探す。そういう姿を、まったりふんわりと撮る映画である。

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