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2010/07/02

きみに読む物語

監督:ニック・カサヴェテス
出演:ライアン・ゴズリング/レイチェル・マクアダムス/ジーナ・ローランズ/ジェームズ・ガーナー/ジェームズ・マースデン/ケヴィン・コノリー/ヘザー・ウォールクィスト/デヴィッド・ソーントン/スターレッタ・デュポワ/サム・シェパード/ジョアン・アレン

30点満点中17点=監3/話3/出4/芸4/技3

【あの夏のラブストーリー】
 老人ホームのベンチ、ひとりの男が、認知症を患う老女に物語を聞かせ続けていた。それは南部の小さな町シーブルックを舞台とする、ひと夏のラブストーリー……。避暑のためこの町を訪れた高校生のアリーと、材木工場で働くノアが恋に落ちる。しかしアリーの両親は住む世界が違うと反対、アリーの大学進学を機に恋は引き裂かれることに。毎日手紙を書くノアに返事が来ることはなく、やがてアリーは実業家ロンに惹かれ始めるのだった。
(2004年 アメリカ/ポルトガル)

★ややネタバレを含みます★

【ツボを押さえた映画】
 ライアン・ゴズリングが与えられた“青年”という役をまっとうし、ジーナ・ローランズとジェームズ・ガーナーのカップルは情緒たっぷり。ジェームズ・マースデンは王子や“恋のお相手”より、こういう当てられ役がハマっていて、「ハリウッドの東幹久」とでも呼んでやりたいほど。ジョアン・アレンも憎まれ役が板についている。

 が、なんといってもレイチェル・マクアダムスが白眉。輝く笑顔、悩める眉、肉感のあるプロポーションや立ち姿など、顔のすべてと全身とを使ってナチュラルにアリーを演じ切る。決してとびっきりの美人ではないのだけれど、話したり動いたりクリクリっと笑ったり思いを叫んだりすると、とても魅力的だ。

 撮りかたも、そんな彼女の魅力を存分に引き出そうとするかのよう。とりたてて大仰なことはせず、つかず離れずの距離感を保ち、音楽で適時盛り上げながら、アリーの内面をきっちりうつしていくイメージ。アリーにだけパっと目につく衣装を着させていることからも「本作の主人公は彼女」という空気が漂う。
 あの白い家や、テラスに置かれたイス(手作り感があって、そこに座って語らってみたいと思わせる)も「ああ私が彼女の立場なら」という、女性観客の感情移入を誘うはずだ。あと、ノアのパパ=サム・シェパードのオトコマエっぷりも、アリー目線で観る際には心強いはず。

 そう、身分違いの恋っていうのは、女性にとって永遠不変のトキメキ・シチュエーション。困難な状況と周囲の反対にさらされたほうが、愛は熱く燃え上がるっていうのも事実だろうし。
 貧富の差とその絶対値、貴族・社交界の存在、女性の社会進出機会、慣例や歴史背景などいろいろなものが絡み合って、各文化ごとに“身分違い”は作られる。たぶんどの世界でも少なくなってはいるはずだが、「せめて物語の中だけでも身を焦がす恋を」と望んだとき、“身分違い”は便利なアイテムとして復活登場するわけだ。

 また『花より団子』や『冬ソナ』など男性側をアッパーに置く物語(東洋に多いのかな)よりも、『嵐が丘』や『恋におちたシェイクスピア』、『タイタニック』や『あの日の指輪を待つきみへ』、そして本作(みんな西洋で作られたものだ)のように、女性がハイソサエティというタイプが実は身分違いの本道ではないか。それが本作を成功へと導いているような気がする。
 身分違いの恋では通常、選択権はアッパー側にあるはず。女性をターゲットにするラブストーリーなら、やはり選択権を女性に与えるべきだろう。

 まぁ選択権を男に与えて女性には身悶えさせるとか、金持ちの彼のために自分が身を引くという形での選択権発動という手もあるけれど、何も物語の中でまで夢見る乙女をダウナーにしなくったっていい。
 ご丁寧に両親の締め付けを用意し、けっこう魅力的な「新しいお相手」まで登場させ、それを乗り越えてつかむ真の愛、恋を受動的ではなく能動的に経験するヒロイン、「どうされたいか」よりも「どうしたいか」という設定と展開が、女性にカタルシスをもたらすのだ。
 ちなみに妻の意見では「ロンに声をかけられた出会いのときから、彼女はその向こうにノアの影を見ていた」とのことである。女心ってのは、男にはとても難しい……。

 とはいえ実は、たっぷりと描かれる身を焦がす若い恋ではなく、老いたふたりの強い結びつき、それゆえの哀しさ、さらには「アリーの選択から現在に至るまでを描かなかったこと」が、本作最大のキモ
 間をすっ飛ばし、でも善良な子や孫を登場させ、献身的な愛を描くことによって、観客には、“幸せへとつながった選択”を感じながら空白を想像する余地が与えられる。「私(たち)も、小さな幸せを積み重ねていこう」と再確認する機会が与えられる。
 描かれなかった部分に自分を重ねる、まだ自分が知らない「老いた自分」に希望を抱く、その構造こそ、この映画が支持される最大の要因ではないだろうか。

 アリーの趣味である絵が現代につながらず、唐突に「物語」というアイテムが登場してくることはちょっと不満だけれど、なかなかツボを押さえた映画だろう。

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