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2010/08/18

借りぐらしのアリエッティ

監督:米林宏昌
声の出演:志田未来/神木隆之介/大竹しのぶ/竹下景子/藤原竜也/三浦友和/樹木希林/羽鳥慎一/吉野正弘

30点満点中18点=監4/話2/出4/芸4/技4

【借りぐらしの人々との出会い】
 病気療養のため、母が育った古い屋敷で1週間を過ごすことになった翔。大叔母の貞子や家政婦のハルに迎えられた日、翔は屋敷の庭で小さな女性を見かける。それは、食料やモノを人間から少しずつ借りながら生きる“借りぐらし”アリエッティの姿だった。さらにアリエッティは、父ポッドと挑んだ初めての“借り”で翔に見つかってしまう。人間に見られたら出て行かなければならない。それが“借りぐらし”の掟だった……。
(2010年 日本 アニメ)

【バイタリティを描く】
 ちょっと利己的な人間に、芯の強い女の子と彼女を守る男の子が振り回されるというフォーマット。突如として放たれる「絶滅する種」というセリフに代表されるエコ志向。冒険を経ることで(ほぼ自動的に)手にすることになる勇気と希望。
 おなじみのジブリアニメである。
 せっかくのノン宮崎作品(企画・脚本は宮崎駿だが)・若手の初監督作、そろそろ説教臭さから脱し、もっと踏み出してもらいたかったと思うし、押し付けるのではなく“感じてもらう”方向でテーマとストーリーを整理して欲しかったとも思うのだが、まぁこの「枠からハミ出さない」姿勢がジブリの善良さであり限界でもある、ということなのだろう。

 ただ、風呂敷を広げすぎず、破綻や曖昧さを排し、かなりシンプル&ストレートに“借りぐらし”の人々を描いた(ある意味それだけの映画だ)構成と演出には好感が持てる。

 釘の橋を渡る。ロープを滑り降りる。粘着テープで這い上がる。窓の隙間から身体をこじ入れる。カーテンをよじ登る。
 ごちゃごちゃとしたセリフもなく、省略もせず、「移動」の過程を細かく見せていく。それで“もたせて”しまう。

 ツタの絡まる屋敷には、年取った女性ふたりが暮らす家にありそうなものが程よく置かれる。アリエッティたちの家には「借りたものをどう活用するか」のアイディアがあふれ、長い年月をかけて少しずつ整えられてきた気配も漂う。『ちびロボ』や『マウス・ハント』とイメージがダブる部分も多いものの、美術のディテールは、さすが。

 スカートの丈、広げたリュックの口、網のたわみなどは「姿勢を変えたり動かしたり力を入れたりすれば、こう変形する」ということがちゃんと計算されているような描かれかた。当たり前のことであり、何でもないように見えるのだが、作画レベルでの細やかさは相変わらず素晴らしい。
 また、走る、昇る、降りる、メガネをかけるなど、それぞれの動きもリアルタイム性や重力、反動などがきちんと考慮されている。

 サウンドも強く印象に残る。
 たとえば雨音は一本調子に「ざー」と鳴るのではなく、各所で歪んで散るイメージ。木の床とラグマットの上では足音が変わり、場所によって声の響きも異なる。時計は重く、虫の音は静かに広がる。
 ため息、吐息を多用することも含めて、全体に空気を感じさせるサウンドメイク。SEのオンとオフ、ボリュームの変化でシーンにインパクトを与える演出効果も効いている(音響は『ICHI』『崖の上のポニョ』の笠松広司)。

 音楽のパワーも大きい。セシル・コルベルとサイモン・キャビーが作り出したサウンドトラックは、ケルトの要素が濃いものでありながら、東京郊外が舞台であるはずの作品世界に不思議と馴染み、軽快さ、寂しさ、優しさといった情感をしっかりと観る者の心に刻み込む。ハープ(すましていて、甘さがあって、お高く留まっていて、あまり好きではない楽器)がここまで気持ちよく聴けたのは初めての経験だ。

 こうしたさまざまな仕事によって、“借りぐらし”というファンタジーに実在感が生まれ、リアリティが増していくのを実感できる仕上がりといえるだろう。

 キャラクターも、それぞれに魅力的。
 ヒロインのアリエッティは、とにかく志田未来が上手い。出かけるときに身だしなみを気にするところ、涙の拭いかたなど、女の子っぽさの表現も上質だ。「この娘(コ)はきっと幸せになるだろうな」と、声と作画、行動で感じさせてしまうのが凄い。

 翔は(神木君、またしても「演じる役の親の離婚率」がアップ)、アリエッティと対面する際に「見てもいい?」と訊ねるところがツボ。このひとことで彼の育ちのよさがわかる。
 親父さんのポッドはカッコよすぎ。職人としての腕も、“借り”のプロとしての年季も感じさせてくれる。スピラーは『未来少年コナン』のジムシーを髣髴とさせ、あさってのほうを見ながらアリエッティに木苺を渡すところなんか「これがジブリの男なんだよな」と思わせる芝居だ。

 母親のホミリーに関しては、「もっと魅力的なお母さんにしてあげればいいのに」というのが妻の不満。が、恐らく数十年もの間、この小さな家から出ぬまま家事を続けてきた小さな人としては妥当であるように思う。

 つまりはキャラクター設定がしっかりしている作品であるわけだが、実はそこに1つの隠し要素が潜み、それが本作のテーマとも結びついているような気がしてならない。
 骨格や鼻の形、髪の色などを見ると、ひょっとすると両親とアリエッティに血のつながりはないんじゃないか? と思えるのだ。かつてこの屋敷で暮らしていたが行方不明となった“借りぐらし”、彼らの残していった女の子がアリエッティという解釈である。
 そう考えると、生き残っていくために必要な力を、血の関係を超え、育てられかた(親と過ごす時間がほとんどない翔)を気に病まず、種の違いを克服して、つかみ取る、“強い生きかた”とでも呼ぶべきものがテーマとして浮かび上がってくる。

 ま、ホミリーとアリエッティは前髪のクセが同じ、素直に実の母娘と捉えるべきなのだろう。それにもちろん、僕ら人間自身が大自然の中で“借りぐらし”として生きていて、自然に迷惑をかけない程度に借りる節度が大切、というわかりやすいメッセージも忘れてはならない。
 けれど、ルールに従いつつも、アクシデントに対して怖がらずに立ち向かい、さまざまな壁を超越し、本当に大切なものを得たり守ったりするために駆け回る、そんな、真の意味でのバイタリティ(生命力)こそ、本作の描きたかったものじゃないかと思うのである。

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