永遠のこどもたち
監督:ファン・アントニオ・バヨナ
出演:ベレン・ルエダ/フェルナンド・カヨ/ロジェール・プリンセプ/マベル・リベラ/モンセラート・カルーヤ/エドガール・ビバル/アンドレス・ヘルトルディクス/オスカル・カサス/ミレイア・レナウ/ジェラルディン・チャップリン
30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4
【消えた息子を追って】
夫で医師のカルロス、難病を抱える幼い息子シモンとともに、ラウラは海辺の古い屋敷へと越してきた。それはかつて彼女が育った孤児院。ここを夫婦で買い取り、改装して障害児たちの“ホーム”にするのだ。だが歓迎パーティーのさなか、シモンが忽然と姿を消す。ソーシャルワーカーを名乗る老女ベニグナ、宝探しゲーム、灯台の下の洞窟、シモンが語っていた新しい友だちトマス……。やがて、すべての謎が哀しみへ向けてつながっていく。
(2007年 スペイン/メキシコ)
★ネタバレを含みます★
【大枠よりディテールの映画】
製作はギレルモ・デル・トロ。自身の監督作『デビルズ・バックボーン』も孤児院を舞台としていたが、あちらが反戦映画だったのに対し、こちらは純オカルトの趣。そのぶん深みには欠けるものの、映画としての見せかたやまとまりにはなかなかのものを感じる。
冒頭部で「へぇ、スペインにも『ぼんさんが屁をこいた(だるまさんが転んだ)』があるんだぁ」と新鮮な驚きを与え、その子どもの遊びにも後になって重要な役割を果たさせる。
貝殻、仮面、人形、カギ、ブローチ、アップリケ、ピーターパンの本といった「何かありそうな雰囲気の」小道具がふんだんに撒き散らされ、そこにアイスクリームの袋や消火器、HIV、鉄材といった「あっておかしくはないけれど、ゴシックホラーには似つかわしくないもの」を混じえることで、一種独特の世界が作り出される。しかもそれらアイテムをキッチリ伏線として物語に組み込んでいく。
全編に渡って構成の妙を感じさせる、面白いストーリー・テリングだ。
撮りかたとしては、浅いがベタっとした色調とアンダー気味の露出を保ちながら、カメラをジワリと動かし、遠近自在に対象を捉え、闇や影やチラリズムを交え、妥当なSEとサントラを乗っけて、オモワセブリックな空気を醸し出していく。オーソドックスなホラーといえるが、廊下を俯瞰で撮るカットなど全体に手間ひまがかけられていて丁寧。
また宝探しや霊媒師アウロラが交信するシーンなどにはスピード感と重厚さがともに漂い、“緊迫感とともに事態を追いかける”演出に長けた作品だということが実感できる。
要するに、観ていて素直に楽しい(ゾクリとする部分も含めて)映画となっているのだ。
問題があるとすれば、自分勝手に完結してしまった物語の本筋。というよりも、2つの“因果”をくっつけようとしたことに無理が生じた、といったところか。
孤児院を巡る事件の“因”がトマスに対するいじめにあり、それが数十年前の孤児たちの死という悲劇を引き起こし、そこに秘密を守ろうとするベニグナが時代をまたいで関わってきて、最後に子どもたちには愛が“果”として与えられる。それはいい。
シモンに十分な愛と信頼を与えられなかったラウラの態度が“因”となって家族に悲劇が起こり、愛と信頼を取り戻したことで発見という“果”がもたらされる。それもいい。
が、どうも組み合わせかたがスッキリしない。たぶん、2つの“因果”を結びつけるはずのシモンが早々に姿を消し、描写の比重がラウラに寄り過ぎてしまったせいだろう。せっかく優れたデザインと技法で作りながら、出来上がってみれば洋室と和室が入り混じって居心地の悪い家になった、という印象が拭えないのだ。
それでも、見どころが多い作品であることは確か。幸い評判も悪くない。
本作のハリウッド・リメイクも進められているようだけれど、いやそれよりこの監督に場を与えてあげるべきだろう。もっとシンプルなアクションやミステリーでもかなり面白く撮れる人物だと思われるので、次回作以降にも期待したいところである。
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