インセプション
監督:クリストファー・ノーラン
出演:レオナルド・ディカプリオ/ジョセフ・ゴードン=レヴィット/エレン・ペイジ/トム・ハーディ/渡辺謙/ディリープ・ラオ/キリアン・マーフィ/トム・ベレンジャー/マリオン・コティヤール/ピート・ポスルスウェイト/ルーカス・ハース/ティム・ケルハー/タルラ・ライリー/マイケル・ガストン/アンドリュー・プレヴィン/ジャック・ギルロイ/シャノン・ウェルズ/クレア・ギア/テイラー・ギア/マグナス・ノーラン/ジョナサン・ギア/マイケル・ケイン
30点満点中20点=監4/話4/出4/芸4/技4
【最後の仕事はインセプション(植え付け)】
他人の夢に潜り込んでアイディアを「抜き取る」産業スパイ・コブは、日本人実業家サイトーから取引を持ちかけられる。あるアイディアをサイトーの商売敵ロバートの頭に「植え付け」れば、コブの全犯罪歴を抹消するというのだ。相棒のアーサー、夢の“設計士”アリアドネ、夢の中で他人になりすます“偽造師”イームス、深い眠りに誘う“調合師”ユスフらと準備を進めるコブだったが、死んだ妻モルの記憶と幻影が彼を悩ますのだった。
(2010年 アメリカ/イギリス)
★ネタバレを含みます★
【優れた映画だが、不満も残る】
意識と現実の曖昧な境界、夢への潜入(ダイブ)、仮想空間で繰り広げられるアクション、明晰夢……。そうしたテーマ性と道具立ては、すでに『マトリックス』や『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『パプリカ』、『恋愛上手になるために』などで観たものだ。
アイディアに関する驚きや真新しさは薄く、だからこそ“どう描くか”が重要となる。
なるほど、エンターテインメントとして優れた作品。
予算は『ダークナイト』ほどではなかったそうだが、城は壊すわ重力を無くすわ街は作るわで、物量投入型の美術。夢を共有するためのマシン=ガジェットも楽しい。
街中の爆発、物理法則を無視した“設計”のヴィジュアル化、爆走する列車などSFX/VFXも良質。「ドデカい鏡にカメラが映り込まない」という、なにげない部分にも感心させられる。
極力ナマの撮影とフィルムにこだわったそうで、おかげでこの世界から作り物っぽさを排除することに成功。編集も適確、オジ様&オニイ様がたのスーツ姿はピシリと決まり、女性陣の衣装には退廃と幼さが漂う。尻を揺るがす重低音と疾走感をベースにしたサントラと音響も良質だ。
プロダクションデザインは『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』、『X-MEN2』、『ブラザーズ・グリム』のほか『ギャラクシー・クエスト』、『キング・アーサー』にも関わったガイ・ディアス。スーパーバイジング・アート・ディレクターは『ターミナル』や『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』のブラッド・リッカー。
SFXスーパーバイザーは『007/カジノ・ロワイヤル』や『ハムナプトラ 失われた砂漠の都』のクリス・コーボルド、VFXスーパーバイザーは『ハリー・ポッターと謎のプリンス』などのポール・J・フランクリン。
撮影監督は『ミニミニ大作戦』や『ダウト』のウォーリー・フィスター、編集は『マスター・アンド・コマンダー』のリー・スミス。
衣装デザインは『幸せの1ページ』、『リーピング』、『コラテラル』のジェフリー・カーランド、音楽は『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズや『シャーロック・ホームズ』のハンス・ジマーで、サウンドデザインは『ジェシー・ジェームズの暗殺』や『ムーンライト・マイル』のリチャード・キング。
ノーラン監督とは『ダークナイト』などで組んだ人も多く、まずは総力をあげて監督が意図する作品世界を見事に作り出している、といった雰囲気。
シナリオは監督自身の作で、テーマ性と道具立てに肉付けを施す手際もなかなかのもの。
夢の共有、“設計士”や“調合師”といった役割分担、投影として現れる人物たち、夢か現実かを見極めるためのトーテム、三層のトラップ、潜在意識を防衛するための訓練、覚醒のトリガーとなる音楽や「キック」など、多彩なアイディアが詰め込まれている。
カーチェイス、ホテルでの格闘、雪山でのスキー・チェイス(スパイといったらこれでしょう、という『007』シリーズへのオマージュだろう)と種類の異なるアクションをカットバックさせ、追われるスリル=タイミリミット・サスペンスと追い求める苦悩=心理サスペンスを共存させ、全地球を股にかけたロケーション&多国籍な出演者で「閉じた世界での広い話」という構造を採り……と、物語を立体的に仕上げることも忘れない。
キーとなる音楽にエディット・ピアフの「Non,je ne Regrette Rien」を持ってきたことについては、『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』でピアフを演じたマリオン・コティヤールを媒介にして「何が現実で何が非現実かわからなくする仕掛けか?」と感じたのだが、どうやらYouTubeあたりではこの選曲に関する分析もおこなわれている模様。
イントロ部分をスロー再生すれば、本作の「ヴぉーん、ヴぉーん」というメインテーマになるというのだ。実際、それは監督とハンス・ジマーの狙いだったらしい。他にもどれだけイースター・エッグが埋め込まれ、それらが映画の本質部分にどれくらい関わっていることやら……。
役者たちは、総じて視線を大切にした演技を見せ、みな身体を投げ打ってアクションにも挑戦。レオ様は渋面、ジョセフ・ゴードン=レヴィットはクール、トム・ハーディは荒っぽく、渡辺謙は大仰に表情を動かすかと思えば軽さもあったりして階層や場面によって微妙に異なる気配を見せる。そうした芝居とキャラクターの幅が、複雑な構造の本作には不可欠だったのだと感じるし、「この人たち、確かにファーストクラスが似合うよな」という立ち姿からは、設定・展開に対して無理のないキャスティングであることも実感できる。
モル役のマリオン・コティヤールは陰を引きずったように、アリアドネ役のエレン・ペイジは不安げに捉えられ、いずれも“夢で見るような完璧な美人”ではないこともポイント(いや、ふたりとも個人的には好きな顔立ちだけれど)。だからこそ夢の側にも現実側にも必要以上に引っ張られず、本作の「夢と現実の錯綜」に真実味が与えられる。
こうして、見た目的・展開的なリアリズムとスリルを重視しつつ、夢ならではの出来事とアイディアをふんだんに盛り込み、他人の夢の中での人間の振る舞いに独自のルールを設定するSFマインドを示し、夢から現実/現実から夢/夢から夢への遷移に下手な小細工を弄せず……、結果として夢と現実の境界に「完全なる曖昧さ」という、実に不思議なニュアンスをもたらすことに成功している。“どう描くか”に関しては、期待に背かない仕上がりだといえるだろう。
が、不可侵聖域たる夢と潜在意識を扱っている割には、下半身に訴えかける怪しさ・妖しさには乏しい。
たとえば夢の中なら憧れのアイドルを裸にひん剥くことだって自由なわけだし、「すべての責任を放り出して愛する人と理想の世界で暮らす」というモルの渇望も沸き上がってきて当然のもの。そうした“罪悪と悦楽の鬩ぎ合い”が、ちょっと軽視されている印象だ。
アクションや作劇に関する工夫も「凄いなぁ」という感心が先に立ち、虚無に落ちる恐怖は十分に表せておらず、「こうすれば、こうなる」という設定部分をセリフに頼っていて、映画表現的にもストーリー的にも本当に身震いするようなワクワクゾクゾクは感じられない。
本来なら、怪しさと妖しさとワクワクとゾクゾクが「もし夢を自在に操れたなら……」というイケない想像を喚起し、“どう描くか”の向こう側にある“何を描くか”の領域へと僕らを誘う映画に成り得たはず。そうした引き摺り込み力が足りないように思えるのだ。
かつて『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』や『マトリックス』シリーズには怪しさも妖しさもワクワクもゾクゾクもあったので、その点は残念。まぁ個人的ベスト10に入る作品と比べるのは可哀想だが、少なくともIMDbのvoteで歴代第3位(2010年8月3日現在)に入るような映画ではない(すでに投票数は11万オーバーで、うち65パーセント以上が10点。投票数5万・第10位の『トイ・ストーリー3』といった他の作品と比較すると明らかに不自然)。
ただ、難解な設定・構造をわかりやすくスリリングにまとめたエンターテインメント性、テーマを考えれば妥当なエンディング、どこからどこまでが夢なのかと頭脳とハートに押し付けてくる余韻など、優れた部分も多い映画であることは間違いない。
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