悲しみが乾くまで
監督:スサンネ・ビア
出演:ハル・ベリー/ベニチオ・デル・トロ/デヴィッド・ドゥカヴニー/アレクシス・リュウェリン/マイカ・ベリー/ジョン・キャロル・リンチ/アリソン・ローマン/ロビン・ワイガート/オマー・ベンソン・ミラー/ポーラ・ニューサム/サラ・ドゥブロフスキー/モーリーン・トーマス/パトリシア・ハラス/V・J・フォスター/キャロライン・フィールド
30点満点中21点=監5/話4/出4/芸4/技4
【失ったもの】
不動産業界で成功したブライアンは、見ず知らずの夫婦の喧嘩を仲裁しようとして撃ち殺されてしまう。のこされたのは、妻オードリー、10歳の娘ハーパー、6歳の息子ドリー。葬儀にはブライアンの幼馴染ジェリーも駆けつけたが、オードリーは彼を憎んでいた。麻薬中毒のジェリーをブライアンは親友として常に気にかけ、そのせいで夫婦の時間が奪われることもあったからだ。それでもオードリーは、ジェリーを家へ迎え入れるのだった。
(2007年 アメリカ/イギリス)
【悲しみと完成度に圧倒される】
この世には“bad”が満ちている。麻薬、そこから抜け出せない弱さ、猜疑心や嫌気、そして死。しかも、善意をきっかけとする不慮の死。
そんな“bad”に取り囲まれた人の姿を、シャープに、静かに、哀しくも優しくうつしとっていく。
夫が「いた跡」に近づこうとせず、知人から亡き夫宛に届いたメールにはいつも通り返信しようとするオードリーが痛い。
唯一の支えを失って、なんとか独りで立とうとするものの、何も変えられない自分に苦しむジェリーが痛い。
その痛みを怒りや絶望に変えることで、さらに痛みは増していく。
けれどブライアンの影は、彼の書斎の外にまで広がっている。安らかに眠るための「耳を引っ張ってもらう」という儀式。ドリーにはプールで厳しく潜る手ほどきをし、そんな映画は観るなといいつつハーパーを名作ウィークに連れ出す。ジョギングのコース、ダイニングで咲く思い出話、何気ない一瞬の記憶……。
そうして「ブライアンがいた世界」を実感することで、皮肉にもオードリーは「彼がいなくなった世界」を知る。「彼がいなくなった世界」で皮肉にも居場所を与えられたジェリーは、その事実に対し、神様への反抗という幼稚な態度しか取ることができないでいる。
たぶん人は、大いなる喪失の中では、そんなふうにしか生きられないものなのかも知れない。欠けて滲んだ文字でメインキャストやタイトルは示されるが、それもまた大切なものを亡くした人の欠けと滲みと哀しみを表しているようで、深く心に残る。
あふれる痛みの中で生きる人の様子を、ハル・ベリーとベニチオ・デル・トロが、懸命に感情を抑えるような演技で表現する。ハーパー役アレクシス・リュウェリンとドリー役マイカ・ベリーの、まだ不器用な純真さも、そっと作品世界に瑞々しさを与える。
物語の中に丹念に哀しみを埋め込んだシナリオ=アラン・ローブの手際が見事だ。構成力とまとめの巧さを感じさせた『ラスベガスをぶっつぶせ』に対し、本作ではさらに“情”も上乗せして、何度も「寂しい驚き」を味わわせてくれる。
撮影はトム・スターン。『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』、『グラン・トリノ』などのクリント・イーストウッド作品や『エミリー・ローズ』で格の高い絵を見せてくれた人だが、今回も、揺れる心と青ざめた痛みとをきっちりすくい取る。
そこに乗せられる音楽は、『バベル』、『スタンドアップ』、『ブロークバック・マウンテン』、『21グラム』などのグスターボ・サンタオラヤによるメインテーマと、ヨハン・セーデルクヴィストのサウンドトラック。透明感たっぷりに弾かれるギターが雨や夜に染みる。
製作は『アメリカン・ビューティー』、『ジャーヘッド』のサム・メンデス。単に表面的な出来事だけでなく、その後ろに連なっているものまでフィルムに刻みつけようとする姿勢は、この作品にも生きているように思う。
そして監督はデンマークのスサンネ・ビア。これはもう『アフター・ウェディング』や『ある愛の風景』(『マイ・ブラザー』のオリジナル版)も見ねばなるまい、と感じさせる仕上がり。とにかく、映画に必要なすべての要素をハイレベルに融合させ、かつ卓抜した演出技力が発揮されていて、ズンと迫る映画になっている。
どうしてこういう間(ま)や空気を作り出せるのか、理屈では説明できない何かでねじ伏せられたような気分になったのは『クラッシュ』以来のことかも知れない。
やがて物語は、大きなテーマへ向けて収束していく。ブライアンの残したメモ(原題となった「Things We Lost in the Fire」)と、いうまでもなく「Accept the good=善を受け入れろ」という言葉である。
失ったものというのは、実は、確かにあったものなのだ。「ブライアンがいなくなった世界」というのは「彼がいた世界」に他ならないのだ。
そう、“bad”を感じるのは“good”があるから。ならば“bad”に対抗できるのは“good”しかないともいえるはず。時に“good”は、施しとか優越感とかおせっかいとか、いけすかない顔をしているけれど、“good”を信じることが“bad”を倒し、自らを救うことになるのではないか。
もうひとつ「人は自ら輝く」というメッセージも発せられる。
最初ジェリーは「友が死んだ」という理由でクスリを断とうとする。が、それではダメなのだ。自分の中に潜む“bad”を見つめ、けれど“bad”を感じるのは自分の中に“good”もあるからだと信じ、それを大切に守って生きようとすること、すなわち自ら輝くことが必要なのだ。その気づきが、ラストの述懐の意味するものなのだろう。
大声でメッセージを叫ぶわけではない。むしろ内向的かつウエットに、打ちのめされている人を描く暗い作品である。だが、その向こうに見えるかすかな希望を、映画としての素晴らしい完成度の中で感じさせ、こちらを圧倒する、そんな作品である。
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