ランド・オブ・ウーマン 優しい雨の降る街で
監督:ジョナサン・カスダン
出演:アダム・ブロディ/クリステン・スチュワート/メグ・ライアン/マッケンジー・ヴェガ/エレナ・アナヤ/ジョベス・ウィリアムズ/ダスティン・ミリガン/グラハム・ワードル/クラーク・グレッグ/ジニファー・グッドウィン/アンガス/オリンピア・デュカキス
30点満点中17点=監3/話3/出4/芸4/技3
【行き詰まった青年と、女性たち】
思うように仕事ができず、女優のソフィアにもフラれてしまった脚本家カーター・ウェブ。とりあえずLAを離れようと、ミシガンで独り暮らしを続ける祖母フィリスの世話をすることに。向かいに住んでいたのは、夫と上手くいっていないようでどこか寂しげなサラと、その娘でサラに心を開いていない女子高生ルーシー。ソフィアへの思いを断ち切れないまま、サラやルーシー、フィリスと関わり合いながら生活するカーターは……。
(2007年 アメリカ)
【意外性と説得力】
監督・脚本のジョナサン・カスダンの父は、本作で製作総指揮を務めるローレンス・カスダン。『帝国の逆襲』や『ジェダイの帰還』、『ボディガード』などの脚本を書いた人だ。息子のジョナサンは、その親父さんの作品で子役としてキャリアをスタートさせ、やがて自身でもTVドラマのシナリオを書くようになり、本作が監督デビュー作である模様。恐らく個人的な経験や思考が多分に反映されているのだろう。
映画としてのデキは、悪いわけじゃない。
多彩なサイズで人物を捉え、画面を広く使い、奥行きもある。そんなダイナミックな絵が澱みなくつながって、テンポもいい。アメリカンなロックで占められたサウンドトラックも軽快で、作品世界に馴染む。
キャストも良質。っていうか、みんな可愛い。
いきなりエレナ・アナヤの美しさで目を惹きつけた(いかにも売り出し中のYAアクトレスという雰囲気がいい)かと思えば、マッケンジー・ヴェガちゃんは「女の子は小さい頃からオンナ」という定説を立証するかのようなオマセっぷりで好演。オリンピア・デュカキスは貫禄の可愛さだ。
クリステン・スチュワートは相変わらずのクールビューティ。非人間的な顔立ちは「悩める女子高生」とミスマッチにも思えるけれど、特徴である猫背としかめっ面がルーシーという役柄には合っている。
で、メグ・ライアン。依然としてキレイだな。何歳だよ。でも、沈んでいて弾けなくて病んでいて、“ラブコメの女王”としてのキュートさは封印。陰と鬱屈のある主婦・母を熱演している。
問題は、内容/ストーリー。本人の半自叙伝的は、得てして、ちょっと散文的なものになりがち。しかも本作は、アメリカ的価値観の発露や行為が多くて取っ付きにくい。「こう撮りたい」という演出的なアイディアや想いよりも、キャラクター設定や会話の内容、セリフ、展開などが“脚本主導”でまとめられている空気も感じる。
要は「アメリカの売れない脚本家が、あったことなかったことを頭の中で組み立てて、書きたいように書き綴った」という、半径数mの物語。日本では劇場未公開というのも仕方のないところだろう。
が、実はその内容/ストーリーこそが、本作の魅力でもある。実話をもとに頭の中で徹底して考えて構成しただけあって、お話の流れが「意外性と説得力、ともにある」というものになっているのだ。
たとえばサラが次女ペイジに病気であることを打ち明ける場面。事実を受けて、いきなりペイジは「ママの財布から20ドル取った」と告白する。その意外な反応に“リアル”を感じてしまう。
またカーターの、サラとルーシーに対する煮え切らない態度、いろいろなことをウヤムヤにしてしまう姿勢、上手く生きられない自分に嫌気が差して逆ギレしてしまう様子も、やはり“リアル”だ。
そんなふうに、誰もが「なかなか思い通りに行かないな」と感じながらあがく日常の中に、そっと本作のテーマが浮かび上がってくる。
相手が求めているものは何なのか? 自分が求めるものは何なのか? その想いに対してどう行動すべきなのか? 答えを得ようとして、人は恐る恐る信頼を分かち合い、心をオープンにしようとする。でも行動は勘違いに満ちていて、すれ違いを呼ぶ。それこそが、生。
このあたりは、人生の普遍的真理を突く部分といえるだろう。
『終わりで始まりの4日間』や『エリザベスタウン』などと比べると、自分探しのモラトリアム映画としては独りよがりで輝きに欠ける。けれど、その輝きのなさがリアルといえばリアル、そんな映画である。
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