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2010/09/14

あぁ、結婚生活

監督:アイラ・サックス
出演:クリス・クーパー/ピアース・ブロスナン/パトリシア・クラークソン/レイチェル・マクアダムス/デヴィッド・ウェンハム/ティモシー・ウェッバー/アナベル・カーショウ/シェイラ・パターソン/エリン・ボイエス

30点満点中16点=監2/話3/出4/芸4/技3

【愛を求めた男、事の顛末】
 1940年代末。壮年の独身貴族を気取るリチャードは、親友ハリーから若い女性ケイを紹介される。仕事で成功し、申し分ない結婚生活を送っているはずのハリーが「妻パットは私を愛していない。あるのは肉体関係だけ。離婚してケイと結ばれたいが、妻を傷つけたくない」というのだ。恐ろしい計画を思いついたハリー、ケイに心を奪われたリチャード、ある秘密を抱えるパット、そしてケイ……。それぞれの思惑が交差した先には!?
(2007年 アメリカ/カナダ)

【ちょっとユラユラな夫婦映画】
 もともとはアカの他人だったふたりが、いろんなものを共有しながら暮らしていく。夫婦って不思議な関係だ。
 たいていの場合、そこには愛があるはずだけれど、むしろイメージとしては「結婚生活という事業の共同経営者」に近いかも知れない。それぞれ分担すること、いっしょにやること、目の前の問題・課題、向かうべき未来、それらを見すえ、決定し、取り組む。

 でも、たがいに相手を100パーセント理解しているわけじゃないし、経営状況に満足しているとも限らない。本作のハリーとパットのように、たとえ30年連れ添ったって、相手の求めるものが何なのか、何を中心に生きているのか、勘違いや思い込みに満ち、霧の中を進むような気持ち。そういうものなんだろう。

 で、そんな「どうすりゃいいんだろ」的夫婦の様子を、親友リチャードの視点で描いた映画であるわけだが、ちょっとマッタリしすぎで楽しくない。

 いい点は、ハッキリと3つ。
 セリフの数々は結構オシャレで、「結婚は病気みたいなもの」、「人生は妥協の産物」、「他人の不幸の上に自分の幸せを築いて、それで本当に満足できるか」など、ウイットとユーモアと真理に富んでいる。
 オールディーズ(というか当時の流行歌)や衣装・美術、色合いによる雰囲気作りも、かなり楽しい。

 そして、もちろん豪華なキャスト
 現在お気に入りのレイチェル・マクアダムスが、「いい意味で深く考えていない、ひとりの女、ケイ」をきっちりと演じ切る。パット役のパトリシア・クラークソンも、そのケイの数十年後を思わせる「ひとりの女」を、ハイソな生活感を醸し出しながら好演。
 クリス・クーパーとピアース・ブロスナン、ふたりのオッサンは、コワモテの役人や軍人やスパイから離れて、「ちょっとくたびれた、どこにでもいる男」として、いい味を出す。

 と、パーツはまずまずながら、トータルとしては、やや重めで緩め。会話中心なので展開はマッタリ。もったいぶった間(ま)が流れ、カットを切り返す際のつながりもちょっと不自然で、デキとしての粗さを感じる。
 ま、ゆったりした間が余韻として生きている気配もあるし、「ケイがハリーを見送る際には窓辺に姿を現すが、リチャードに対してはそうじゃない」という、見せて感心させる場面もある。でも、タッチがコメディとサスペンスの間をゆらゆら動いて、居心地は悪い。

 ドリス・デイの「I Can't Give You Anything But Love」で始まる本作。その、夫婦関係の真理ともいうべき一文をシニカルに解釈し、カタチにしようとして、ちょっと躓いてしまったような映画である。

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