恋愛上手になるために
監督:ジェイク・パルトロー
出演:マーティン・フリーマン/グウィネス・パルトロー/ペネロペ・クルス/サイモン・ペッグ/アンバー・シーリー/アマンダ・アッビントン/ジャービス・コッカー/ソニア・ドーベル/ジュリアナ・キーヘル/キース・アレン/メレディス・マクニール/マイケル・ガンボン/ダニー・デヴィート
30点満点中16点=監3/話3/出4/芸3/技3
【夢の中の、愛しき美女】
イギリスで大ヒットを飛ばしたポップ・スターのゲリーだったが、バンドを解散し、恋人ドーラを追ってアメリカ・NYへと渡る。バンドの元メンバーで、いまは広告代理店に勤めるポールの部下としてCM用の音楽を作り続ける日々だ。将来に行き詰まり、ドーラともギクシャクするようになったゲリーは、たびたび夢に出てくる美女アンナと恋に落ちる。なんとか夢を自分の思い通りにコントロールしようと悪戦苦闘するゲリーは……。
(2007年 アメリカ/イギリス/ドイツ)
★ネタバレを含みます★
【夢の向こうと、夢のこちら】
本作の鑑賞は『インセプション』よりも前。夢だと知りながら見る夢、というモノ・現象の存在は知っていたけれど、明晰夢(Lucid Dream)って言葉も実際にあるんだなぁ。
不幸にも、ハッキリと経験したことはない。当然ながら「それが夢だと自覚した段階で起きてしまわないこと」が重要であるわけだけれど、これが極めて困難。可愛い女の子とキスしたり、危険な状況に陥ったり、あり得ないことが起こったりなど、「うぉっ」と感じた瞬間に目を覚ましてしまうのが常だ。
本作で主として描かれる「ゲリーが寝ている間に見る夢。それをつなぎ止めようとジタバタする様子」は、「ゲリーが起きている間に見ている夢。それをつなぎ止めるために何もしない様子」と対になっていることは明らかだろう。
現実世界では、希望を持ちつつも、ただ振り回され、振り回されることを好み、事なかれ主義を貫くゲリー。前進することに恐怖を感じる心理というのは、理解できる。その反動として「夢の中くらいは、自分の意志ですべてを上手くやっていけるんじゃないだろうか」と“逃げてしまう”心理も。
いきなり夢にアンナを5人も登場させるバカさ加減が、微笑ましくって好きだ。
で、そんなふうに脳内世界をコントロールするより先に、やらなければいけないことがあるとゲリーが気づくまでの物語、というのが本作の姿。
夢の中でアンナのために作った曲を客観的に捉え、それが本当に彼女のための音楽なのかと自問する。明晰夢の師であるメルの暮らしに自分の未来を重ね見て、そうなっていいのか、他にやるべきことはないのかと自問する。そしてようやく、混沌の中から抜け出そうと意を決するバカ男のストーリーである。
もっとも、その決意から先も夢の中、という哀しいオチが用意されているのだけれど。
ややマッタリとした間に覆われているし、あくまでゲリーの内面=混乱と不確かな再生を描くことに終始しているため、ノレない部分はある。が、詰め込まれたシニカルなユーモアは、なかなかのもの。
「愛してる」「僕もだ」
その会話はすでにただの“習慣”と化しているようだけれど、実はその習慣こそが、リアルな人生をリアルたらしめていて、そのリアルの上に夢は乗っかっていくものだという主張は、なるほど真理ではないだろうか。
フラフラと、自分の情けなさに甘え続けるゲリー=マーティン・フリーマンが適役。ペネロペ・クルスも、アンナの神秘性とメロディアの俗っぽさを自在に行き来して、彼女にしかできない役柄だろう。
グウィネス・パルトローのドーラは、ゲリーが寝室に防音材をベタベタと貼り付けたときの「せめて白にして」というセリフがツボ。彼女の諦観、これまでの生きざま、彼女自身もまたどっちに進むべきか迷っていることなどをうかがえて、いい場面だ。
サイモン・ペッグは軽さ、ダニー・デヴィートは無責任なのか思慮深いのかわからない立ち居振る舞い、それぞれ持ち味を生かしている。
演出面では、「夢の映像化」に必要以上には凝らず、ちょっと安っぽい雰囲気をキープしたのが正解。それこそが、ゲリーのように自分にも他人にも曖昧な者が見る夢のありかただろう。
ドンっといきなりの急展開、どこからどこまでが夢なのか不安にさせる終盤の空気作りもまずまずだ。
ただ、原題『THE GOOD NIGHT』に対してこの邦題は、本作のイメージやテーマをまるで再現しておらず、かなりのバツ。
さて、今夜は夢の中で手をじっと見て、電気をパチパチしてみようか。
でも忘れちゃいけない。その夢の続きは夢の中にあるんじゃないってことと、夢の終わりは夢の続きでもあるってことを。
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