レイン・フォール/雨の牙
監督:マックス・マニックス
出演:椎名桔平/長谷川京子/ゲイリー・オールドマン/清水美沙/柄本明/ダーク・ハンター/若松武史/中原丈雄/小木茂光/浜田晃/坂東工
30点満点中16点=監3/話2/出3/芸4/技4
【CIA、警察、そして殺し屋たちの思惑が錯綜する】
USBメモリにコピーした極秘資料を何者かに渡そうとする国交省官僚の川村、メモリの奪取を企てる日米ハーフの殺し屋ジョン・レイン、ふたりを監視するのはウィリアム・ホルツァー率いるCIA、役人の連続死を殺人だとにらみ証拠を追う刑事・安弘……。常に敵の一歩先を行くジョンは、多くの者が関わるこの事件の裏には何かがあると感じ取る。やがてジョンと川村の娘みどりとの出会いを契機に、事態は意外な方向へ転がり始める。
(2009年 日本)
【見た目的には良も、トータルではウソっぽい】
日本人は国際的ポリティカル・サスペンスを描くのに必要な“遺伝子”を持ち合わせておらず、だからこそイタリアでのオールロケや手間ひまをかけた撮影などカタチから入ることで体裁を整える、という方法論で作られたのが『アマルフィ 女神の報酬』だった。
本作はマックス・マニックス(日本で英語教師をしていたことがあるらしい)というオーストラリア人を監督・脚本として起用。残念ながら豪州にもそういう遺伝子はなかったようだが、この人の「それっぽく描く才能」によって、サスペンスとしてはまずまず成立している。
ただ撮るのではなく、ちょっとした工夫と配慮と意識の高さがあれば、画面にはこれくらいの格が生まれるのだ、ということがよくわかる作り。
赤やグレーなどの色合いに気を遣って色調を整える。暗いところは暗く撮り、素早いズームを駆使し、わざとフォーカスをボカして、舞台に立体感を与える。やや離れた物陰から人物を狙うようなアングル、いったん別のところをうつしてから対象物へパンするカメラワーク、人物の頭頂部を切ってしまうほどのアップ、トニー・スコットばりの短くて神経質なカッティングなどが、緊迫感を高め、臨場感とリズムを生む。
香港製フィルム・ノワールのような感覚もあるけれど、いずれにせよ日本的・低予算的な「ここにカメラをセットして、はいスタート。次の場面も同じレンズでいいか」という安っぽさと野暮ったさは、ない。
撮影監督ジョン・ウェアハムは『ピッチブラック』や『ミッション・インポッシブルII』でカメラ・アシスタントを務めた人らしい。そういうキャリアがこの絵づくりにつながっているのだろう。
いっぽう美術(山崎秀満)や音楽(川井憲次)は、しっかりと「舞台は日本です」という雰囲気を作り出す。
と、見た目としては「日本映画っぽくない。でも日本映画」という不思議で上等な質感を保つのだけれど、デキとしてはいま一歩。
肝心のアクションシーンの迫力にバラツキ(スピード豊かな場面もあればB級ヤクザモノっぽいところも)があるという傷がひとつ。そして、それ以上に足を引っ張っているのがシナリオだ。
誰が何のために動いているのか曖昧なまま各陣営の思惑が錯綜し、実はコイツが悪いヤツで……という、ちょっとわかりづらい大枠は、まぁいい。こういうことなんです、これこれこうでした、と説明的な部分が多いのも、ありがちなことだし、最早あきらめている。
それよりも残念なのはキャラクターの描写だ。
まずはジョン・レイン。椎名桔平の芝居そのものはマズくないのだが、冷徹かと思えばニヘラぁとした笑顔を見せたりして、気色悪い。どういう価値観の正義とプロフェッショナリズムを持っているのかがボンヤリしていて、おかげでストーリーの牽引力にも「巻き込まれた男の焦り」にも欠く。
ヒロインのみどりは、目の前で正体不明のヤツらを殺した正体不明のジョンにたやすく心を許すというバカっぽさに加え、長谷川京子の演技が難。ウィリアム・ホルツァーにも切れ味がなく、ゲイリー・オールドマンを呼ぶにはもったいない役柄だろう。
原作は元CIA工作員によるサスペンス小説とのことだが、どうにもキャラクター設定がインチキ臭く、そのせいでストーリー全体のリアリティも削がれているように感じる。
見た目的なスタイリッシュさはいいだけに、人物とお話のウソっぽさが残念な仕上がりである。
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