曲がれ!スプーン
監督:本広克行
出演:長澤まさみ/三宅弘城/諏訪雅/中川晴樹/辻修/川島潤哉/岩井秀人/寺島進/松重豊/甲本雅裕/三代目魚武濱田成夫/平田満/木場勝己/ユースケ・サンタマリア/升毅/佐々木蔵之介/志賀廣太郎
30点満点中16点=監2/話3/出4/芸4/技3
【超常現象を信じたくて】
子どもの頃に怪光が海に落ちるのを目撃して以来、UFOや謎の生物といった不思議現象の虜となった桜井米。いまはTVの超常現象バラエティ『あすなろサイキック』でADを務めているが、登場するニセモノの超能力者たちにウンザリ。売り込みハガキを頼りに香川まで取材に来たものの、やはり冴えない自称超能力者ばかりだった。ところが、本物のエスパーたちがひっそりと集う「カフェ・ド・念力」に、偶然にも米が訪れて……。
(2009年 日本)
【もっと温かくできたはずだけれど】
小っちゃい頃、うちにもたくさんありましたよ、米ちゃんが読んでいるような本。UFOとか超能力とかイエティとかネッシーとかエクトプラズムとかモアイなんかが満載のヤツ。
最近でも同種の書籍は発行されているようだけれど、科学の発達と高度情報化と携帯ゲーム機の普及のせいで(もっとも大きいのは「ネタ切れ」かも知れないが)、この手の“不思議”とそれに伴うワクワク感って、やんわり否定されたり興味を持たれなくなったりバカにされたり、とにかく地位を落としている印象。ちょっと寂しい。
たぶんこの作品も、同じような心情から作られたんだろう。その「子どもの頃に抱いたトキメキを忘れたくない」というスピリットは温かいんだけれど、映画としてのデキとしては、あと一歩。
もともとは舞台劇、それを映画用にアレンジしてあるわけだが、恐らく原作では描かれていないかサラリとすませてあるはずの部分(番組の収録、工場長や“へっちゃら男”など)の盛り込みかたとヴィジュアル化が、ややクドい。そうやって盛ってあるのに密度感はなく、全体的な間(ま)もグタグダっとしがちだ。『サマータイムマシン・ブルース』との結びつきも、とりたてて必要なかったように思える。
TVサイズで(舞台のほとんどが喫茶店内であるため)画角のバリエーションにも乏しいし、撮りかたも芝居も「型通り」という印象。
特に気になるのは、クライマックス。テレパス椎名が米ちゃんの心を読むくだりは映画的見せ場の1つであるはずだが、米ちゃんの内面の映像化が雑然としすぎていて心に迫ってこない。また、彼らが超能力者であることに米ちゃんが気づいているというのも説得力不足で、せっかくの感動が薄れてしまっている(実は米ちゃんにも確証がなくて、それでも思念を送った、という描写があればよかったのだが)。ラストの光も、描写がやや長い。
全体の展開・構成は(会話はいかにも舞台劇っぽいし、もうちょっと各人の能力がユーモラスに生かされてもいいと思うし、マスターと神田くんの年齢差も気になるが)まずまず面白いだけに、もうちょっと“見せるパワー”とかスマートさに気をつかって欲しかったところ。
あと細かなことだけれど、ESPとPKの違いにも言及して「超常現象への愛」を感じさせてもらいたかった。
褒めるとすれば、キャスト。オリジナルの公演者であるヨーロッパ企画の役者をはじめ、ジミメンの舞台系を配置したことで「能力を隠しながら暮らしている人たち」っぽさは、よく出ている。長澤まさみも、まぁあんまり考えていない演技だけれど、それだけに可愛い。
米ちゃんの衣装もカラフルながら貧乏臭い絶妙の加減だし、「カフェ・ド・念力」店内の美術もチャーミングだ。
それと、超能力が「だんだん使えるようになる」というのがツボ。まさしく“子どもの頃に抱いたトキメキ”へと訴えかける設定だ。
そんなわけで、あったか要素も多いんだけれど、映画化センスの部分で失敗しちゃっている気配の強い作品である。
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