7つの贈り物
監督:ガブリエレ・ムッチーノ
出演:ウィル・スミス/ロザリオ・ドーソン/ウディ・ハレルソン/マイケル・イーリー/バリー・ペッパー/エルピディア・カリーロ/ロビン・リー/ジョー・ヌネズ/ビル・スミトロヴィッチ/ティム・ケルハー/ジーナ・ヘクト/アンディ・ミルダー/ジュディアン・エルダー/サラ・ジェーン・モリス/マディソン・ペティス/イヴァン・アングロ/オクタヴィア・スペンサー/ルイーザ・ケンドリック/フィオナ・ヘイル/アマンダ・カーリン
30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4
【その贈り物は、ある計画のもとに】
かつてはエンジニアとして生き生きと宇宙開発関連の仕事に従事していたベン・トーマス。だがある不幸な事故が起きて以来、国税庁の職員として税金滞納者の家や職場、立ち寄り先を訪ね歩いていた。その相手は、恋人に虐待されている母子、熱心なホッケー・コーチ、盲目の電話オペレーター、そして心臓に先天的な欠陥を持つエミリー・ポーサ……。弟の制止や親友ダンの苦悩を振り切って、ベンはある“計画”を進めようとしていたのだった。
(2008年 アメリカ)
★ネタバレを含みます★
【あるべき姿へ、進む計画】
内容をまとめれば、数行ですむシンプルな物語。それを興味深いものとして引っ張るべく、全容をなかなか明らかにせず、ベンの“計画”についても伏せて、観る側が「知らないまま覗き見る」ような構成が採られている。
やがて「ああ、なるほど」とか「やっぱり」と得心するようにストーリーは流れ、ちょっとしたサプライズも用意してあって、まさに引っ張っていくような作りだ。
役者の吸引力も大きい。運命に対する憐れみを常に目線の中に湛え、苦しみ続けるベン=ウィル・スミスがいい。ロザリオ・ドーソンは美しく、余命わずかだが悲観的でも楽観的でもない、という難しい役エミリーをよく演じている。めずらしくエズラというおだやかな人物を与えられ、だからこそ味と説得力のあるウディ・ハレルソンや、やり切れない思いを抱える親友ダンのバリー・ペッパーなど、適確な配役だ。
彼らの芝居、戸惑い、苦しみ、楽しみ、歩く姿を、カメラは物憂げな色調でたっぷりと捉え、印象的な「レクイエム」をはじめとするアンジェロ・ミィリの音楽が支える。
全体として、この監督と主演コンビの前作『幸せのちから』より重みや趣や静けさに秀でた、しっとりとした仕上がりだ。
さて、ベンから予期せぬ贈り物を受け取ることとなる人物たちは、みな何かしら「自分をこの世につなぎとめるもの」を持っている。家族(コニーの子どもたちや骨髄移植を待つ少年の母)、仕事(凸版印刷やホッケーのコーチ、ピアノの演奏)、ペット(グレートデン)、恋(ウエイトレス)……。
ベンは「いい人間を探している」という。それは「自分がそうではない」ことを意味するはずだが、彼の考える「いい人間」とは、この世に切り離せないものを持つ人、ということなのだろう。誰かと、または何かとつながっていることが人としての“あるべき姿”であり、その姿を維持したり取り戻したりするために彼は力を尽くすのだ。
動かない機械=ビーストを修理するのも、ただエミリーを助けたり喜ばせたりするだけが目的ではなく、動くという、機械にとっての“あるべき姿”を回復させるための行動のように思える。
つなぎとめるもの、切り離せないものをほとんど失ったベンに残されていた数少ない「大切なもの」が、もっとも美しいと感じる存在、ハブクラゲ。だからこそベンは、その存在とのつながりによって、自身をあるべき場所へと導こうとしたのだろう。
ちなみにハブクラゲは沖縄など日本近海にも生息するらしく、新江ノ島水族館でも見られるとのこと。刺された場合、重症だと心肺停止の危険もあるようだが、どうやら即死とはいかない模様(アメリカ沿岸に棲息するハブクラゲが日本のものと同種かどうかは知らないが)。ただし持っているのが神経毒なので、死後の臓器移植には問題ないそうだ。
作中で、victimという言葉が事故による死者だけでなく自殺者に対しても使われると知った。が、ベンは決して自身を犠牲者などと美化したくはなかっただろう。
ようやく「この世につなぎとめるもの」を見つけた瞬間が彼にとっての最期だという皮肉は実に哀しいものだが、ベンはただ、つぐないを求めただけであり、そのつぐないこそが“あるべき姿”を取り戻すこと、そして彼自身の“あるべき姿”が「差し出せるものをすべて差し出すこと」だったのだ。
ラスト近く、Bird York(『クラッシュ』以来お気に入りのシンガーだ)が歌うのは「Have No Fear」。
ベン自身が己の恐怖を払拭し、またエミリーを見守ることも自分の“あるべき姿”だと自身に納得させる、そんな音楽が心を打つ。
奇しくも『つぐない』、そして本作と贖罪がテーマの映画を続けて観たわけだが、罪に対して静的だった『つぐない』と比べ、こちらは(行動の是非はともかく)極端に動的だ。
個人的にはそれが、人の“あるべき姿”だと思う。
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