ブーリン家の姉妹
監督:ジャスティン・チャドウィック
出演:ナタリー・ポートマン/スカーレット・ヨハンソン/エリック・バナ/ジム・スタージェス/マーク・ライランス/クリスティン・スコット・トーマス/デヴィッド・モリッシー/ベネディクト・カンバーバッチ/オリヴァー・コールマン/アナ・トレント/エディ・レッドメイン/ジュノ・テンプル/イアン・ミッチェル/コリーン・ギャロウェイ/ビル・ウォリス
30点満点中18点=監4/話2/出4/芸4/技4
【愛憎尽きぬ王室】
16世紀初頭のイングランド、王ヘンリー8世は世継ぎに恵まれないでいた。権力を欲するノーフォーク公トーマス・ハワードは、切れ者の姪アン・ブーリンを王に近づけようと画策。だが勝ち気なアンに恥をかかされた王は優しく物静かなアンの妹メアリーを寵愛するようになる。やがてメアリーは男児を出産、目論み通りハワードやブーリン家は王室での地位を築き上げていく。ただ、まだ野心を捨て切れないアンの存在が火種として残っていた。
(2008年 イギリス/アメリカ)
【イギリス版『大奥』】
これってイギリス版『大奥』やん、と思ったら、なんのことはない、そういうノリで(日本国内では)プロモーションされたらしい。
英米ではどう受け取られたかは知らないが、「エライ人のゴシップ」を好むのは万国共通のはずで、まさに『大奥』に熱中したうちの妻と同じような視線でこの映画を観たんじゃないだろうか。
なにしろ撮りかたからして、カメラと対象との間にモノを置く“覗き見視線”を多用しているし。
もちろん本作は、イギリス史における重要なターニング・ポイントを描くとともに、そこには極私的愛憎が作用していたという解釈に挑む役割も持つのだろう。けれど、当時の世界の趨勢や英王室のありよう、カトリックと諸派との対立、現在のイングランド国教会の立ち位置などを知らないわれわれにとっては、もっと下世話な覗き見映画ということになりそうだ。
そんなわけで、ゴシップ好きのミドルエイジにも理解しやすいよう、状況や設定や人間関係をわかりやすぅくセリフで解説してくれる作り。
いっぽうで、表情だけで各人の心情や出来事の推移をわからせるシーンも多くて、映画としての体裁を確保。陰影豊かな映像、しかも人物を真っ当に画面の中央には置かず、不安や波乱を感じさせもする。そのバランス感覚に優れた絵画ライクなカットを、秒単位で細かくイメージを変える多彩なBGMが支え、壮麗な美術・衣装もまた見もの。
なかなかに格調のある出来栄えだ。
キャストも好演で、ナタリー・ポートマンはスっと背筋を伸ばした歩きかたや堅苦しいセリフ回しを駆使して、彼女には珍しい悪女役をまっとう。スカーレット・ヨハンソンも、ナチュラルに怯えたような目でメアリーになりきる。エリック・バナほど、ポリシーなく振り回される王様にふさわしい者はそう多くない。
実際には、アンは痩せた不美人、メアリーは豊満な美人、ヘンリーは有能でインテリで決断力にも富む人物だったそうだが、本作の設定・キャスティングでこそ、『大奥』的な空気感も増すというものだ。
いまも昔も野心は罪と美徳との間で揺れ動き、戒律や伝統は無益な建前とイコールで結ばれるもの。そうしたことがわかる映画ではあるが、残念なのは「なぜ」の部分に関して突っ込み不足である点。
アンとメアリーが持つ方向の異なる望み、たがいに抱くコンプレックス、それでも根強く残る愛情を、いくつかの小さなエピソードで強烈に印象づけてほしかったところ。とりわけアンが「何を目指すのか」は、それこそわかりやすぅく示すべきだったろう。
権力欲に燃えるノーフォーク公や姉妹の父についても、「その地位を得られれば、これまでの生活とどう変わるのか」という部分を提示することが必要だったように思う。
さて、どうやら『エリザベス』も観てねというメッセージが本作にはこめられている模様(製作者が同じ)。そういう“誘導”もまた、「なりふり構わず自分の有利な方向へ周囲を動かす」という意味で、『大奥』的な価値観といえるのかも知れない。
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