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2010/11/09

そして、私たちは愛に帰る

監督:ファティ・アキン
出演:バーキ・ダヴラク/ヌルギュル・イェシルチャイ/トゥンジェル・クルティズ/ハンナ・シグラ/パトリシア・ジオクロースカ/ヌルセル・キョセ/エルカン・カーン

30点満点中17点=監4/話4/出4/芸3/技2

【3組の親子の愛憎劇】
 ドイツ、ブレーメン。年金暮らしのアリは、自分と同じトルコ出身の娼婦イェテルを家に住まわせようとする。アリの息子のネジャットは複雑な思いを隠せないが、そんな折、心臓発作でアリが倒れてしまう。いっぽうトルコで過激な政治活動を続けていたアイテンは、警官の銃を奪ったことから危機に陥り、ドイツへ不法入国。偶然知り合ったロッテとともに母イェテルを探そうとする。それをロッテの母スザンヌは快く思わないでいるが……。
(2007年 ドイツ/トルコ/イタリア)

【理解への道】
 ふと“団地モノ”という造語が思い浮かんだ。第二次大戦後、経済の急成長やイデオロギーの世界的大転換の中で、その荒波に翻弄されながら(あるいは流されて)生きる労働者階級の日常を綴る、というカテゴリーだ。
 物語の根底には、当時の社会情勢や民族問題、朽ちようとする古い価値観があって、作りとしてもノスタルジックで野暮ったくてヒューマンな方向。最近の日本でいえば(舞台は団地じゃないけど)『ALWAYS 三丁目の夕日』とか『パッチギ!』あたりか。

 ドイツにトルコ移民が増えたのは戦後(60~70年代)、低賃金の労働力を確保しようとしたからだというし、脱イスラム・EU加盟などの西洋化が近年のトルコの有り様。そうした事情が背景にあって、やや野暮ったさの残る本作も、やはり“団地モノ”だ。

 各登場人物がみな“それっぽく”見えるキャスティングが良質。アリのポロシャツのエリがくたびれていたりとか、アイテンの汗臭い佇まいとか、人物造形の確かさがあって、その姿や芝居をカメラが淡々と、かつしっかりと捉えていく。
 静かながら劇的、予想を超える展開も見事で、各人の歩みがクロスオーバーしていく様子に心を惹きつけられる。

 そこで描かれるのは、肉親や自分自身といったもっとも近い存在に対し、近いからこそ憎しみを抱いてしまう哀しい人々。そして彼ら彼女らは、邦題の通り“愛”へと集束していく。
 単純で無償の愛というよりも、その人や自分が生きてきた道のりを肯定する、という意味での愛。愛と肯定の前段階には“理解”というものがあって然るべき、との思いも沸いてくる。

 アリの末路は、まるでワイドショーのネタのようだ。アイテンの人生は三面記事の小さなスペースをにぎわす程度のものだろう。スザンヌの生きかたは誰かの目にとまることすらないかも知れない。
 そんな小さな“生”をつなぎ、ちっぽけなお話としてスルーしてしまうことを防ぐものが、すなわち理解。ひいては、国家や民族をつなぐものもまた理解ではないかと、本作は訴えているのだろう。
 英語で会話するドイツ人とトルコ人。食事を契機に心が近づく他人。そうした「理解への努力、理解への一歩」が印象に残る作品である。

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