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2010/12/16

いのちの戦場 -アルジェリア1959-

監督:フローラン・エミリオ・シリ
出演:ブノワ・マジメル/アルベール・デュポンテル/オーレリアン・ルコワン/マルク・バルベ/エリック・サヴァン/モハメッド・フラッグ/ローネス・タザイート/アブデルハヒド・メタルシ/ヴァンサン・ロティエ/ローネス・マチニ/エイドリアン・サン・ジョーレ

30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4

【封印された「戦争」】
 1954年11月1日。長年フランスに支配され続けてきたアルジェリアでアルジェリア民族解放戦線(FLN)による独立運動が激化、戦争へと発展する。1959年、カビリア地方に赴任した仏軍のテリアン中尉は、ヴェルス少佐の指揮のもと、FLNのゲリラを撲滅する任にあたる。ときに冷血とも思える振る舞いを見せるドニャック軍曹を制しながら作戦行動を続ける中尉だったが、戦争の真実は、彼を壊すに十分な過酷さを秘めていた。
(2007年 フランス)

【近代の戦争映画の標準形】
 まずは、お勉強から。
 1830年代(日本では大塩平八郎の乱が起こるなど幕藩体制の堅牢さに翳りが見え始めた時期だ)、資源の確保を狙ってフランスはアルジェリアへと侵攻する。以来、フランスはチュニジアやモロッコなど北アフリカ地域を次々と手に入れた。
 植民地支配は100年以上に及んだが、第二次世界大戦の終結後、各地で民族自決の機運が高まって独立運動が活発化、アルジェリアでもFLNが武装蜂起し、これはチュニジアやモロッコにも波及した。早期に独立を果たしたチュニジア、モロッコに対し、複雑な民族問題を抱えるアルジェリアに関してはフランス内部でも意見が分裂、1962年の独立まで激しい戦争が続くこととなる。
 国際社会に対してフランスはあくまで「治安維持」と主張、これを戦争だったと認めたのは1999年になってからのことだった。

 作中でも述べられている通り、アルジェリア人兵士は第二次世界大戦でフランスに従軍している。もちろん強制的な徴兵だったようだが、つまりフランス本国人とアルジェリア人は戦友であったわけで、それが「親しい敵」を意味する本作の原題『L'ennemi intime』へつながる。

 こういう歴史があったんだ、との認識以外に、さほど真新しい発見は見られない。「戦争の現実が人を人でなくしていく」という、既存の戦争映画でも描かれたテーマをかなりストレートに語る作品だ。
 監督は『スズメバチ』の人で、さすがに銃撃シーンの演出にキレはあり、褪せた色調の中、テリアン中尉の焦燥や混乱を丁寧に拾い上げる獲りかたもストレート。
 その中尉をブノワ・マジメルが生真面目に演じる。『モンテーニュ通りのカフェ』『地上5センチの恋心』の“文化人”とは色合いの異なる「自分がやっていることに疑問を感じながら、心を殺して闘い続ける歴戦の軍曹」をまっとうしたアルベール・デュポンテルも手堅い。

 印象に残るのは中尉の心情変化より、彼の周囲にひたすら広がる荒地、というロケーションだ。この景色がキーワードとしてクローズアップされることはないが、だからこそ余計に「人が人でなくなっていく場」としての重みを感じることができる。
 世界は無機質に広がり、その中のごく狭い範囲で、自分が明日には死ぬとも思わず(あるいはその恐怖を、酒を飲み、カメラの前でおどけることで覆い隠して)戦う男たち。そうした存在を作り出し、消費していくのが戦争というものなのだろう。

 そして、意義や契機はどうあれ、結局戦争とは単純に殺戮を繰り返すことにほかならない、とも示唆される。
 そのおこないの果てにあるのは、全滅か、適当なところでの手打ちだけ。なんとも無益な行為を、人は続けているものだ。
 過ちを見直すとともに、人を人でなくしてしまう戦争の現場を描き、戦争がもたらすものを考えさせる。近代の戦争映画の標準形的な作品、といったところだろうか。

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