ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1
監督:デヴィッド・イェーツ
出演:ダニエル・ラドクリフ/ルパート・グリント/エマ・ワトソン/ロビー・コルトレーン/ブレンダン・グリーソン/デヴィッド・シューリス/ボニー・ライト/マーク・ウィリアムズ/ジュリー・ウォルターズ/ジェームズ・フェルプス/オリバー・フェルプス/ドムナール・グリーソン/クレメンス・ポージー/ジョージ・ハリス/アンディ・リンデン/ナタリア・テナ/ヘレナ・ボナム=カーター/ジェイソン・アイザックス/ヘレン・マックロリー/トム・フェルトン/ティモシー・スポール/ピーター・ムーラン/イメルダ・スタウントン/デイヴィッド・オハラ/ビル・ナイ/デイヴィッド・ライオール/ジョン・ハート/フランセス・デラトゥール/イヴァナ・リンチ/リス・アイファンズ/ステファン・ロードリ/ソフィ・トンプソン/トビー・ジョーンズ(声)/サイモン・マクバーニー(声)/レイド・セルベッジア/ジェイミー・キャンベル・ボウアー/マイケル・バーン/ヘイゼル・ダグラス/ミランダ・リチャードソン/リチャード・グリフィス/ハリー・メリング/フィオナ・ショウ/レイフ・ファインズ/アラン・リックマン/マイケル・ガンボン
30点満点中19点=監4/話3/出4/芸4/技4
【分霊箱と死の秘宝に迫る3人、最終決戦間近】
運命の子ハリー・ポッターを守り続けてきた最強の魔法使いダンブルドアが死に、ヴォルデモート卿はハリーに対する追撃を強化、さらには世界を手に入れるため“死の秘宝”をも狙う。魔法省やホグワーツもヴォルデモートの下僕である死喰い人に掌握され、穢れた血の一掃が開始された。ハリー、ロン、ハーマイオニーは、ダンブルドアの遺品を手に、ヴォルデモートの魂を収めた分霊箱の探索を続けるのだが、哀しい犠牲者が増えていき……。
(2010年 イギリス/アメリカ)
【決意を秘めた、シリーズ屈指のデキ】
まさか、開始3分で泣かされてしまうとは。これについては後で述べるとして、今回の作品で感じたことをひとまず列挙しよう。
まずは、ハリー、ロン、ハーマイオニーが随分と逞しくなったな、ということ。もちろん、相変わらず喧嘩したり無鉄砲だったり大怪我を負ったりもするのだけれど、難しい魔法をいつの間にか使いこなすようになり、死喰い人どもを撃退し、敢然と悪に挑む姿には、頼もしさを覚える。
そして、この3人でよかった、ということ。途中でキャスト交代の可能性もあったはずだが、ハリー、ロン、ハーマイオニーとダニエル、ルパート、エマがイコールで結ばれ続けたからこそ、観る側の感情移入も増し、このシリーズを1つの大きなまとまりとして捉えることもできるのだ。
喧嘩別れしたロンが戻ったとき、3人の間に流れる「やっぱりこの3人が揃わなければ何もできない」「けれど、その気持ちを素直に表現しない」という空気感が絶妙。ハーマイオニーは「(ロンに対しては)いつも怒っている」というけれど、それだけ長く同じ時間を過ごし、心を通い合わせているってこと。
ダニエル、ルパート、エマ、3人の名前が最初に提示され、後はアルファベット順に並ぶエンドクレジットからも、製作サイドが「この3人でよかった。この3人の成長にここまで付き合ってきてよかった」と感じていることは明らかだろう。
映画(シリーズ)そのものも成長しているように感じた。いわば、児童文学からの脱却。
原作を丁寧に映画化した第1作も立派だったが、いま思えば「児童向けファンタジー」の域は出ていなかった(原作の雰囲気がそうなのだから無理はない)。軽快で、親しみやすくって、楽しくって。
本作でも、魔法界の常識をロンだけが知っていて、でもマグル界でのコーヒーの注文方法をロンだけが知らないとか、3人が魔法省に潜入するくだりとか、笑いは散らしてある。当然のようにアクションもある。
いっぽうで、グっとリズムを落とし、前作以上に重く沈んだ雰囲気も。
たとえばヴォルデモートが部下たちに杖を寄越せと迫るシーン。もっと簡単に描く手もあっただろうが、ゆっくりじっくりと見せる。それ以外も全体として、省略できるところは省略し、そのぶん1つ1つの場面を(ダレない程度に)ゆったりと進めているイメージ。ペンダント分霊箱破壊のシーンではファンが思わず「嫌っ」と叫びたくなる描写まで用意されている。アクションもどことなく殺伐というか、これまで以上に痛みを感じさせるような仕上がりだ。
この落ち着いた間(ま)と重苦しさと痛みが、さらに3人の内面と観客との距離を近いものにし、来るべき最終決戦へ向けての緊張感も高めているといえるのではないだろうか。
スタッフ・リストを見ても、シリーズとしての安定感・共通性をキープしつつ、新たな落ち着き、暗さ、痛みを求めたことがわかる。
プロダクション・デザインのスチュアート・クレイグはシリーズに一貫して携わっている人物だし、衣装デザインのジェイニー・ティーマイム、編集のマーク・デイも近作と共通。
いっぽう撮影監督には『ビヨンドtheシー ~夢見るように歌えば~』や『ブラッド・ダイヤモンド』のエドゥアルド・セラを、音楽には『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』などのアレクサンドル・デスプラを迎え、これまでとは異なる色合いやフォルムを取り入れようとした気配。特にサウンドトラックは、重厚さと疾走感を兼ね備えていて、いいデキだ。
前述の「杖を寄越せ」シーンはデ・パルマっぽかったり、森の中での追跡劇はゾンビものを想起させたり、他の監督・作品・カテゴリーの応用にも取り組んでいるように思える。
ビル・ナイをチョイ役で使ったり、その他の重要人物も一瞬しか出てこなかったり、過去作の出演者らをきっちりと再登場させたり、相変わらず贅沢なキャスティング。それぞれのお芝居を重視した撮りかたにもなっていて、魔法省の役人アルバート(正体はハリー)を演じたデイヴィッド・オハラのギクシャクした動きからドローレスに対して怒りを爆発させるまでの流れが特に秀逸。
さらに感心させられたのがエマ・ワトソンだ。一段と美人になり、それはひょっとすると原作のイメージとは違うのかも知れないけれど、「マグルの中で生まれ育ったティーンエイジャーの魔女」としてのハーマイオニーを見事に体現、このキャラクターを原作以上に魅力的な人物にしている。少女とオンナの中間に位置している体型や顔の作りと、あんなこと(CGだろうけれど)までしてくれた心意気にも萌え。オレにくれ。
で、そのハーマイオニーに泣かされたのが開始3分。両親の記憶を消してまで逃れられない戦いへ挑もうとする彼女の決意に涙する。
そう、オープニングからしてスクリムジョール大臣の決意表明であるように、本作のテーマは“決意”。多くの味方が死を覚悟し、実際に命を落とす者まで出る。そんな中で最終決戦へ向けて、3人が、友情や、やるべきこと・できることを確認しあいながら、大切なものが奪われていくことに苦しみながら、少しずつ“決意”を熟成させていく姿を描くのが、本作の役割だ。
この流れはPART2で、シリーズの肝、シリーズ最大の落涙ポイントとでもいうべきある人物の“決意”へと結び付いていくことだろう。それを考えると、続きが楽しみで楽しみでしょうがない。
そんなワクワクを、ややスローでダークな中に押し込めることに成功した本作。原作をしっかり読んでいないとわかりづらい部分はあるものの、シリーズの中でも屈指のデキといえるのではないだろうか。
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