俺たちに明日はない
監督:アーサー・ペン
出演:ウォーレン・ビーティ/フェイ・ダナウェイ/マイケル・J・ポラード/ジーン・ハックマン/エステル・パーソンズ/デンヴァー・パイル/ダブ・テイラー/エヴァンス・エヴァンス/ジーン・ワイルダー
30点満点中17点=監4/話4/出3/芸4/技2
【ボニーとクライドの旅路】
1930年代初頭、テキサスの田舎町。未来の見えない退屈な日々に嫌気が差していたウエイトレスのボニー・パーカーは、母の車を盗もうとした刑務所帰りの男クライド・バロウと同行することに。まったく違う道を歩んで来たものの、惹かれあうふたり。やがて自動車整備工C・W・モスが仲間に加わり、クライドの兄バック、その妻ブランチも合流。一行は各地で銀行やスーパーを襲い、全米で知らぬ者のいない犯罪者となっていく……。
(1967年 アメリカ)
★ややネタバレを含みます★
【ひとつの時代、ふたりの愚か者】
ストーリーはシンプルかつ強引。退屈を持て余す娘はいともたやすく悪事に手を染め、悪党は事実以上の悪党となり、ヒーローにもなって、ひたすら襲うことと逃げることを繰り返す。
それも当然だろう。世は大恐慌、既存の価値観がぐっちゃぐっちゃに壊されたはずの時代だ。「誰もが貧しい」というシンプルな社会が出来上がった結果、さまざまな価値観は「動くか、黙るか」「奪うか、奪われるか」「やり遂げるか、失敗するか」の二元論に再編され、クライドとボニーは前者の道を歩んだだけ、ということなのだろう。
何も保証されていない、いい加減な世の中、ともいえる。銀行の保安設備も追跡側の態勢もシステムとして機能していないし、車は7人乗っても平気で走るほどいい加減な作りだ。
ふつう、何かを得れば何かを失うものだが、いい加減な世の中ではそんな法則すら働かない。何も手に入れられないし、満たされない。クライドもボニーも何かを成したわけではなく、ただ風に舞う新聞のようなもの。
明日など気にしない刹那的なふたりを演じるのはウォーレン・ビーティとフェイ・ダナウェイ。正直、全体に芝居は大仰で上手とはいえまい。
が、女性に対して本気になれないというキャラクター設定がクライドという人物を奥深いものとし、大きな仕事の前に示す不安げな様子も愛らしい。ボニーは最期のときに、ほんの一瞬だけ垣間見せる「覚悟」ともいえる表情が素晴らしい。
ふたりとも、自分が愚かだと気づかず「動く、奪う、やり遂げる」へと突き進む“逸(はや)る選択者”としての体臭をプンプンと放つ。
カットのつなぎは乱暴だが、手前と奥を意識させるなど常に立体的に舞台を捉える場面構成はダイナミック。砂とホコリでできた時代を美術はよく再現し、軽快なブルーグラスと悪事とのミスマッチも楽しい。
無軌道な強盗どものヒステリックな生きかたに心動かされることはないけれど、シンプルな物語を浮かれとイライラで彩り、ひとつの時代に生きるふたりの愚か者を描いた作品として、確かに後世に残るものではあるだろう。
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