トロン
監督:スティーヴン・リズバーガー
出演:ジェフ・ブリッジス/ブルース・ボックスライトナー/デヴィッド・ワーナー/シンディ・モーガン/ダン・ショア/ペーター・ユラシク/トニー・ステファノ/バーナード・ヒューズ
30点満点中17点=監2/話3/出3/芸5/技4
【コンピュータ世界の戦闘と冒険】
悪辣なCEO・ディリンジャーに率いられ、自我を持つMCP(マスター・コントロール・プログラム)にネットワークを支配されている総合デジタル企業エンコム社。かつてディリンジャーに功績を横取りされた技術者ケヴィン・フリンは、地位回復とMCPの暴走阻止のため、監視プログラム『トロン』を作った元同僚アランらとネットワークへの侵入を企てる。だが危機を察したMCPによりフリンはプログラム世界に囚われてしまうのだった。
(1982年 アメリカ)
【当時としては、なかなかやってくれちゃってる】
「なんか凄いSF映画が来るらしい」
「たぶん、これ(本作)やろ」
「おお、観てくるわ」
そうやって弟を映画館へ送り出したのは、もう30年近く前になるのか。弟が観たかったのは実は『ブレードランナー』だったのだが「これはこれで面白かった」とのこと。で、誤ったお兄ちゃんは、その責任を取るべく(っていうか続編の公開に備えて)、いまさらながらの鑑賞。
いや確かに、いま観れば技術的にはショボイかも知れん。でもね、これってファミコン発売前の映画ですよ。インベーダー・ブームが落ち着いて、やっとこ『バックマン』の時代ですよ。
そこへ本作は、ワイヤーフレームとかグリッドとかポリゴンとかを持ってくる。ネットワークやハッキング、エージェントといった概念も取り入れてある。タッチパネル式のキーボードというガジェットも楽しい。
自我を持つプログラムとその暴走、というアイディアはもっと前からあったけれど、それをエンターテインメントに昇華させた点、「創造主(ユーザー)と、創造主の能力を超えた創造物は、どちらが神か」という哲学にまで踏み込もうとした意欲もエライんじゃないか(ちなみに同種のテーマを扱っていた『ウォー・ゲーム』の公開は翌1983年)。
シド・ミード(『ブレードランナー』)やピーター・ロイド(『シン・シティ』などに参加)のデザインともあいまって「アイディアの先端性とその視覚化」という点では、間違いなく歴史に残る作品であるはずだ。
全体のテイストとしては、SF映画の大いなる流れを感じさせる。
たとえば、近未来ディストピアにおける逃避行・冒険とその殺伐とした空気感は『THX-1138』、『ウエストワールド』、『2300年未来への旅』、『ソイレント・グリーン』といった60~70年代作品の遺伝子を受け継いでいるように思えるし、「諸悪の根源を、コアに爆弾を投げ込むことで退治する」というプロットは『スター・ウォーズ』に影響を受けたものであり、後に『ID4』でも生かされることになる。
現実世界とヴァーチャル世界とのキャスト的共通性は『オズの魔法使』に通じ(SFじゃないけど)、エージェントの擬人化は『マトリックス』で、物質の転送イメージは『GANTZ』(これは映画じゃないけど)へとつながっていく。
そんな、流れや位置づけが楽しい作品でもある。
で、80年代の我が家には、テレビのアンテナ端子につないで遊ぶビデオゲームがあった。あらためて「あの頃のビデオゲーム市場ってどうだったんだろう?」と、『アタリ』についてwikipediaを調べてみると、これがまた面白い。
アタリ社じたいがガレージカンパニー(本作のエンコム社も『ガレージからスタートした』と言及される)だったとか、囲碁の“アタリ”から取った社名だとか、本作が公開された1980年の末に“アタリショック”なるものが起こってビデオゲームが売れなくなったとか。
そういう現実世界の流れの中における本作の位置づけを考えるのも、また楽しそうだ。
ただ残念ながら、純粋に映画として評価するなら、イマイチ。やや間延びしたカット/編集、先端グラフィック面以外は野暮ったい絵作りなどは、いかにもB級臭い。
まぁそのあたりには目をつぶって「当時としては、なかなかやってくれてるんじゃないの」くらいの気持ち(いや、当時でももっと優れたVFXはあったんだけれど、デジタルなのにどこかアナログっぽい雰囲気がお茶目で素敵なのだ)で観るべき作品だろう。
END OF LINE.
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント