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2011/01/20

ソーシャル・ネットワーク

監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ジェシー・アイゼンバーグ/アンドリュー・ガーフィールド/ジャスティン・ティンバーレイク/ルーニー・マーラ/アーミー・ハマー/マックス・ミンゲラ/ジョセフ・マゼロ/パトリック・メイペル/ブレンダ・ソング/デニース・グレイソン/ジョン・ゲッツ/ラシンダ・ジョーンズ/ダコタ・ジョンソン/ジェームズ・シャンクリン/オリバー・ムーアヘッド/ウォレス・ランハム/ケイトリン・ジェラード

30点満点中18点=監3/話3/出4/芸4/技4

【facebook誕生の陰で】
 恋人エリカと別れた夜、酔った勢いで女生徒比較サイトを作ったハーバード大生のマーク。大学には睨まれたものの、上級生のウィンクルボス兄弟からSNS立ち上げへの協力を依頼される。快諾したマークだったが、彼は友人エドゥアルドと自前でSNS「フェイスブック」を開設。マークはアイディアの盗用として訴えられ、さらに「ナップスター」の創設者ショーンを引き入れたことでエドゥアルドとの間にも距離が生まれてしまい……。
(2010年 アメリカ)

【情報の中の、本当に大切なもの】
 ソーシャル・ネットワークとは、社会的なつながり。その権化・大本山である「facebook」を作ったマークだが、自身は一切のつながりを拒絶する。いや、いったん近づいた相手を唐突に突き放す。
 しきりに時制を行き来し、「facebook」創設から成長の経緯とその後の裁判の様子を描き、マークのおこないと孤立性とを描いていく本作。特徴は冒頭の“まくしたて”に代表される膨大なセリフ量だ。

 他の映画の倍くらい、字幕を読んでいる時間が長いようなイメージ。ただし「単に会話でストーリーが進む愚」には陥らず、あらすじをまとめるのに苦労する(たとえば、女生徒たちに嫌われたりとかショーンに感化される流れとか、キーとなる出来事はまだまだある)ほどいろんなことが起こる。
 また役者たちの表情を大切に撮る場面もあって、会話劇には否定的な身にも許容できる仕上がり(脚本は『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』などのアーロン・ソーキン)。

 その表情だが、ジェシー・アイゼンバーグの、上の空と常に冷めた視線が印象的。饒舌ぶりより、むしろ「何事にも感心のない様子」にポイントを置いてマークという役を表現しているように思える。

 音楽は『マイ・ボディガード』のトレント・レズナー(ナイン・インチ・ネイルズ。ちなみにレズナー自身もSNSでユーザーと交流していたものの誹謗中傷されることも多く「益より害の方が多い。バカが支配している」と批判したのだとか。以上wikipediaより)と、『ザ・ウォーカー』のアッティカス・ロスで、ノイズにあふれたテーマ曲「Hand Covers Bruise」が耳に残る。
 またサウンドメイク(サウンドデザインは『ゾディアック』などのレン・クライス、サウンドミキサーは『かいじゅうたちのいるところ』などのマーク・ワインガーテン)も細かな音をややエキセントリックに拾い上げる方向でまとめられている。

 そうした音関係がいやでも「自分の周囲にある現実世界(当然ながらネット上とは比較にならないくらいの情報があふれている)の広がり」を意識させるのに加えて、マークのそばにはいつもルームメイトだの裁判関係者だの人がひしめき、女の子はみな魅力的。それでも彼は「なぜ」の部分を押し隠して(または自分以外に非があると相手に思わせて)、世界を拒絶し、無関心を貫くのだ。

 結局のところ、どれほど多くの情報があろうと興味を持てなければただのゴミと雑音だし、どんなに会話を繰り返してもその人の内面などわからないし、あるいは複雑で奇異に見える言動の裏にある動機なんて、実はあの子と友だちでいたいという単純な想いだったりする。それに現実世界も、生きかた次第ではミニチュアの箱庭のように狭いもの(ボートレースのシーン)になりうる。
 そんな「周囲にあふれるものすべてと、その中で大切なものと、自分とのつながり」の希薄さ・重さを浮き上がらせるために、膨大なセリフが用意されているのだろう。

 してみると、しょせん電気信号のやりとりである「facebook」の効用に疑問符を打つ映画といえるのかも知れない。世界200か国以上でユーザーは5億人(6億人とも)、一国の政府を転覆させるほどのパワーを持つようになったいっぽうで、規模が大きくなればなるほど内包されているはずの「自分にとって重要な何か」の密度は相対的に薄まっていくわけだし。

 優れたプログラミングの才能を持ち、それを生かし、巨万の富を築いた若者マーク。けれど終盤、勝者であるはずの彼がエドゥアルドを下から見上げる構図に「彼もまた敗者」との思いが沸いてくる。なにしろ、何度も画面をリフレッシュするラストカットからわかる通り、マークは本当に欲しい唯一の“つながり”をいまだ手にしていないのだ。「大切な何か」の密度が薄まらないよう懸命に雑音と雑事をカットする若者。それが彼の姿。

 その姿をデヴィッド・フィンチャーが、最近のこの監督らしい赤みのある色調(撮影は『ファイト・クラブ』や『恋は邪魔者』のジェフ・クローネンウェス。『ブレードランナー』の撮影監督の息子さんらしい)で、等身大に捉えた映画。これまたフィンチャーの最近の傾向である「アーティスティックな部分より職人的な部分が前面に出た」作りで、字幕を読んでいる時間が長い割には見やすいし、手堅く、退屈でもなく、考えさせる部分も多いといえるだろう。
 けれど、前述の通りそもそも会話劇には否定的なので、あんまりオスカーを獲らせたくないな、とも感じる作品である。

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