ヒア アフター
監督:クリント・イーストウッド
出演:マット・デイモン/セシル・ドゥ・フランス/フランキー・マクラレン/ジョージ・マクラレン/ブライス・ダラス・ハワード/ジェイ・モーア/ティエリー・ヌヴィック/リンゼイ・マーシャル/レベッカ・ステイトン/デクラン・コンロン/マルト・ケラー/リチャード・カインド/ジェシカ・グリフィス/ミレーヌ・ジャンパノイ/スティーヴ・シリッパ/ジェニファー・ルイス/ジャン・イヴ・ベルトルート/ニーアム・キューザック/ジョージ・コスティガン/デレク・ジャコビ
30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4
【死者との交信】
南の島で津波に飲み込まれたフランス人TVキャスター、マリー・ルレ。一命は取り留めたものの、臨死体験の際に視た光景が脳裏に焼きついて集中できず、休職せざるを得なくなる。ロンドンでは双子の兄ジェイソンを事故で喪ったマーカス少年が、なんとか兄と話したいと考えていた。かつて広く知られた霊能力者ジョージは、いまでは死者と交信できる能力を隠し、サンフランシスコでひっそりと暮らしていた。彼らの人生が、交差する。
(2010年 アメリカ)
★ネタバレを含みます★
【ひょっとすると、この上なく大いなる救い】
死後の世界(ヒアアフター)はあると信じたい、と考える人には、あるいは不向きな作品かも知れない。だってイーストウッドは「そんなこと、わかりはしないし、どっちだっていいだろ」と告げるのだから。
なにしろ、死後の世界を明確には描かない。死者たちが自身の声で語ることもない。ジョージが能力を持つことは確かだろうし、彼が視る一瞬のヴィジョンも提示されるけれど、実際に彼がどれくらい深く死者と交信できるのかは定かでなく、マーカスが出会ったインチキな霊媒師や研究者たちほど酷くはないにしても、疑おうと思えば疑えるレベルだろう。
ジョージと接した人たちには、安らぎを得る者もいれば、逆に戸惑いや哀しみに苛まれる人もいる。ジョージ自身、何もできない、こんなことをしたって誰も救われないと感じている。
つまり、実際に僕らが死後の世界を考えたり接触を試みたりするときと同じように、本当に死後の世界があると信じるかどうかはそれぞれの捉えかた次第、死後の世界があったとしてそれをどう受け止めるのかも私たち次第、という描きかたなのだ。
むしろ力が入れられるのは、現実世界の描写だ。
曇り空や雨の下で、仕事での成功とつまづき、おおっぴらにできぬ恋、ドラッグ、母や里親との関係、料理教室、朗読、リストラといった現世の出来事が(どちらかといえばネガティブなものを中心にして)綴られる。
薄暗さが支配する画面、生活音を丹念に拾い上げるサウンドメイク。シーンの始まりや終わりにポンと遠景を入れ、あるいは手前~奥方向に立体的に人を動かす。「いまここに暮らす人」を印象づけるような作り。
しかも、映画作りにおける魂のようなものを感じさせる冒頭の津波シーンとは雰囲気を変えて、彼らの日常は重く流れ、まったりと間延びしているように思える。
でも、それこそが“生”。暗さや厳しさに覆われていたとしても、ひとまずは、生きているものどうしが力を合わせて、守りたい、いたわりたいと思える人のそばで、自分ができることに取り組み、生きていくほかない。
たとえば、マーカスを慰めるために置かれた2つ目のベッド。そのマーカスが示す、わざわざ出版社にマリーの居所を尋ねるというおせっかい。そんなふうに、小さな優しさを積み重ね、支えあいながら、いま生きている人たちは生をまっとうしていくものなのだ。
だからこそ本作は、生きているものどうしの“つながり”=握手で幕を閉じるのである。
フランキー&ジョージ・マクラレン君の等身大の少年っぷり、「明るさの下に隠れた暗い過去というものもある」という役柄に不思議とあうブライス・ダラス・ハワードもいいが、マリー役セシル・ドゥ・フランスの(『モンテーニュ通りのカフェ』のキュートさとはうってかわった)、儚さと脆さと懸命さと「思い立ったら止まらない感」がミックスされた人間らしさも、本作のテーマと色合いを決定づけるものとして印象に残る。
そう、彼女は視たものを信じ、書かざるを得なかった。彼女自身が信じてさえいれば、誰が何といおうが「どっちだっていいだろ」なのだ。
そして、やはりラストシーンが象徴的だ。ヴィジョンのせいで苦しんできたジョージは、数分後のマリーとの関係という想像(妄想と呼ぶべきか)=ヴィジョンをもとに、一歩を踏み出すことを決意する。
要はこの映画、「君がそう信じるなら、それでいい。その気持ちに従って行動すればいいじゃないか」へと着地するのだ。それは死後の世界についても通じることで、「確かにある」と語るのではなく「信じるのなら、本当のことはどうだっていい」へと持っていくのだ。
だとすればひょっとすると、死後の世界はあると信じたい、と考える人にとって、大いなる救いとなる映画ともいえる。「確かにある」と断じるよりもよっぽど、残された僕らを優しく包む作品ではないだろうか。
●主なスタッフ
脚本は『クィーン』、『ラストキング・オブ・スコットランド』、『フロスト×ニクソン』、『ブーリン家の姉妹』などのピーター・モーガン。
撮影のトム・スターン、美術のジェームズ・J・ムラカミ、衣装のデボラ・ホッパー、VFXのマイケル・オーエンス、SFXのスティーヴ・ライリー、サウンド・エディターのバブ・アスマンとアラン・ロバート・マーレイらは、『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』、『チェンジリング』や『グラン・トリノ』などに関わったイーストウッド組の面々。
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