ダウト ~あるカトリック学校で~
監督:ジョン・パトリック・シャンリー
出演:メリル・ストリープ/フィリップ・シーモア・ホフマン/エイミー・アダムス/ヴィオラ・デイヴィス/アリス・ドラモンド/オードリー・ニーナン/スーザン・ブロンマート/キャリー・プレストン/ジョン・コステロー/ロイド・クレイ・ブラウン/ジョセフ・フォスターII世/マイク・ルーキス
30点満点中17点=監3/話3/出4/芸3/技4
【疑いがもたらすもの】
1964年、ブロンクスにある教会とカトリック・スクール。フリン神父は信者からの人気も厚かったが、校長であるシスター・アロイシアスは、その厳格な姿勢が生徒たちに恐れられていた。ある日、5年生を受け持つ若いシスター・ジェイムズは、学校初の黒人生徒であるドナルド・ミラーと神父との“関係”に疑いを持つ。シスター・アロイシアスに問い詰められた神父は否定するものの、校長の胸には、ただ疑念だけが広がっていく。
(2008年 アメリカ)
【芝居と空気感は濃密だが、浅さも感じる】
ケネディ暗殺直後、つまりは合衆国全土に「未来に対する不信」が広がっていた時代を舞台として借り、9・11以後のアメリカにふたたび蔓延する同様の思いを描こうとした、という作品らしい。
暗いところは暗く、冷たい風は冷たく、乾いてホコリっぽい空気もそのままの質感で、カメラに捉えられる。登場人物たちの周囲では音が哀しく反響する。画面はたびたびナナメに切り取られる。
なるほど確かに、世界を覆う“やるせなさ”のようなものが、ベースとしてあるような見た目だ。
不信、諦め、迷い。そうした感情がもたらす“疑念”という毒を抱えるシスター・アロイシアスを、メリル・ストリープがさすがの貫禄で演じる。表情の微妙な変化やセリフまわしによるわかりやすい芝居よりも「神に仕える厳格な教育者として、普段からそう振る舞っている」と感じさせる身体の線や動きが見事だ。
フィリップ・シーモア・ホフマンの、快活さと善良さと懸命さと怪しさと皮肉が絶妙のバランスで入り混じったフリン神父も素晴らしい。ふたりに挟まれるエイミー・アダムスが、さまざまな不安と焦りの中で揺れるシスター・ジェイムズを好演する。
ミラー夫人役のヴィオラ・デイヴィスもまた上手く、この登場時間の短いキャラクターにまでこれだけの演技クォリティを要求・実現した“作り”に頭が下がる。
かなりのパーセンテージで「芝居を楽しむ映画」といえるだろう。
ただ、突っ込み不足であることは否めない。
作中でもラストでも決定的な答えや真実を示さず、観る者にも疑惑を与えて「アナタはどう判断するか?」と詰め寄る、そうしたベクトルじたいは妥当だと思う。また、ある程度の時間をかけて描写されながら、ストーリーに大きく影響してこないジミーやウイリアムといったキャラクターは、何も役割を果たしていないようで実は「大いなる不信と疑念の中で、形のないイライラを募らせていく市民」や「不信や疑念に無関心な人々」を象徴する存在として納得できる配置だろう。ミラー夫人の立ち位置も「不信や疑念があることを踏まえたうえで、現実を取る」という、多くの現代人の姿勢を体現するものといえる。
だが、疑念によって蝕まれる“私”や社会、疑いが呼ぶ自己嫌悪、曖昧な疑いによって壊されていく未来……といった本質的な問題が、十分に心に届くような形で描かれているとはいいがたい。シスター・アロイシアスが背負い込み、そして吐き出す苦悩を、序盤から中盤で示唆するような描写があればよかったのだが。
お芝居や空気感は濃密だが、104分と短めなこともあって、メッセージの映画化としてはちょっと浅い、と感じる仕上がりである。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント