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2011/07/03

SUPER 8/スーパーエイト

監督:J・J・エイブラムス
出演:ジョエル・コートニー/カイル・チャンドラー/エル・ファニング/ジョエル・マッキノン・ミラー/ライリー・グリフィス/ライアン・リー/ガブリエル・バッソ/ザック・ミルズ/ロン・エルダード/ノア・エメリッヒ/ジェシカ・タック/アマンダ・ミチャルカ/グリン・ターマン/ブレット・ライス/ブルース・グリーンウッド/デヴィッド・ギャラガー

30点満点中18点=監3/話3/出4/芸4/技4

【あの日、僕らが見たもの】
 クラスメイトのチャールズが撮る8ミリ映画にメイク係として携わるジョーは、母を亡くして以来、形見のペンダントを肌身離さず持ち歩いていた。憧れのアリスが初めて撮影に参加した夜、彼らは大規模な列車脱線事故に遭遇する。どうやら事故には空軍の機密が絡んでいるらしく、その日からリリアンの町では不思議なことが起こり始めた。ジョーの父で保安官代理のジャクソンは、列車の積荷の秘密を暴こうと奔走するのだが……。
(2011年 アメリカ)

【好きな要素が多いだけに、惜しい仕上がり】
 どうやら未知の生物が絡んでいるらしい大事件に直面して、子どもたちがマウンテンバイクに乗って大奮闘。その内容・雰囲気はCMでいっている通り『E.T.』と『スタンド・バイ・ミー』のミックスともいえるわけだが、それだけじゃない。
 『クローバーフィールド/HAKAISHA』や『グーニーズ』、『未知との遭遇』に見られるUFO愛、『ゾンビ』と自主製作映画愛、フランケンシュタインの怪物~『アイアン・ジャイアント』の系譜など、パっと思いつくだけでもそれくらいのものが詰まっている。これはもうとんでもない寄せ集め映画だ。

 いや、だからといって安っぽいわけじゃなくて、むしろ隅々までよくできているな、という印象。
 たとえばこれだけ雑多なことを盛り込みながら1つの話として成立させ、下手な説明を省き、主人公たちにつきあいながら少しずつ全体像が見えてくるというわかりやすい構成を取り、しかも撒き散らした伏線を余さず回収してみせて、頭からラストまでキッチリとつながったストーリーにまとめ上げた腕は、お見事。アリスがチャールズを「なんでも自分の思い通りになると考えている人」と評するのは、そのまま彼女と父親との関係を投影しているセリフのはずで、そういう読みを促す上手さもある。
 深夜の学校に忍び込む場面の軽快感など、全体にテンポも良くって見やすい。

 高圧電線が走っていて給水塔が立っていて墓地があって、自転車で端から端まで行けてしまう70年代の小さな町、というロケーションは、ファンタジーとミステリーとノスタルジーが融合するこのストーリーの舞台に、このうえなく最適。現代の都会にはない“不思議な出来事の中心地”としての適度な猥雑さが、ここにはある。
 光源を画面内の奥に置いてわざとレンズフレアを発生させる(これでもかとばかりに多用)撮りかたも、そのときその場で撮影しましたという雰囲気と、「当時はコレに悩まされたけれど、いまでは機材をコントロールして逆に利用することもできるようになった」という製作者=元映画少年たちの思いと、そして子どもたちを包む希望とを感じさせて、本作の個性として、まさに光る。
 列車がバラバラになって砕け散る序盤の見せ場、町に砲弾が降り注ぐクライマックス、ともに迫力たっぷり。とりわけ落っこちてくるモノの確かな重量感の創出と、観客の頭上に飛ぶ鉄塊を感じ取れる立体的なサウンドメイクが上質だ。

 子どもたちのキャストもいい
 ジョー役ジョエル・コートニー君はまったくの新人らしいが、よくぞ見つけてきたな、という感じ。イヤミのないほどほどの美形で、この事件をきっかけに自分の足で立つことを覚える“大人への道を歩む少年”の佇まいが、よく出ている。
 アリス役のエル・ファニングは、可愛く成長してくれた。『デジャヴ』とか『バベル』の頃なんか、抱きかかえられて泣いているだけじゃなかったっけ。それがいまでは、ガキどもに想いを寄せられる、ちょっと強気で陰のある田舎町の少女にハマる。
 チャールズ監督のライリー・グリフィスは、普通ならイジメ役・かき回し役のいでたちなのに、ここでは自分たちの映画を引っ張り、単純かつ繊細なキャラクターも見せてくれる。マーティンのガブリエル・バッソも、刑事役が意外と上手くて楽しい。

 彼らが撮っているゾンビ映画、ストーリーなどのアイディアは実際にこの子たちが出したそうで、もちろん技術的・構成的には拙いながらも、仕上がりは微笑ましくって、思った以上にしっかり作られている。

 と、細部にはいろいろと見るべき点も多いのだけれど、やはり寄せ集め感が、本作を元ネタ(主に70~80年代のスピルバーグ作品)以上または同レベルへ押し上げることを阻害しているように思える。

 ジョーと父、アリスと父、人類とエイリアンという3つの関係を軸に、恐らくは物語を「孤独からの脱却・再生」へと持っていきたかったのだろう。
 その狙いを示すように、各シーンはたびたび誰かから誰かへの“いたわり視線”で終わる。心が痛むのは僕だけじゃない、寂しい想いを抱えているのは私だけじゃない。そういう“気づき”へと至り、たがいに理解し優しさを分け合うことで安らぎを得る。そういう物語であるはずだ。

 そういうコアの部分が雑多な中に埋もれてしまって、あるいはどこへ向けて収束させたいのかベクトルが曖昧なまま突き進んでしまって、エンディングで十分なカタルシスを得られない、というフィニッシュ。
 そこに不満が残ってしまう。作りも技術もフィロソフィも好きなタイプの作品だけに、惜しい仕上がりである。

●主なスタッフ
 撮影監督は『ウォッチメン』などのラリー・フォン、編集は『スター・トレック』のメリアン・ブランドンとメアリー・ジョー・マーキーで、いずれも『LOST』や『エイリアス』で監督と組んでいる面々。
 プロダクションデザインは『スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい』のマーティン・ホイストで、コンセプト・デザイナーとしては『サイレントヒル』のアンディ・チュン、クリーチャーデザインに『アバター』のネヴィル・ペイジがクレジットされている。
 衣装は『さよなら。いつかわかること』のハー・ウイン、音楽は『カールじいさんの空飛ぶ家』のマイケル・ジアッキノ、サウンドデザインは『WALL-E』などのベン・バート。
 VFXは『スピード・レーサー』のキム・リブレリなどILMが中心となったチーム、SFXは『グラン・トリノ』のスティーヴ・ライリー。

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