ロルナの祈り
監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ/リュック・ダルデンヌ
出演:アルタ・ドブロシ/ジェレミー・レニエ/ファブリツィオ・ロンジョーネ/アルバン・ウカイ/モルガン・マリンヌ/オリヴィエ・グルメ/アントン・ヤコブレフ/グリゴリ・モニュコフ/ミレイユ・ベイリィ
30点満点中17点=監4/話4/出4/芸2/技3
【国境を超えた“愛”】
ロルナの“夫”クローディは、“妻”の助けを得ながらクスリを断とうとして苦しんでいた。だがロルナは、早く彼と別れなければならない。次の偽装結婚の相手であるロシア人が待っているのだ。報酬が手に入れば愛するソコルと店を持つこともできる。計画の元締めであるファビオがクローディの死を望むのに対し、離婚という形で終わらせたいロルナ。薬物中毒の夫から暴力を振るわれていると警察に訴えるロルナだったが、その矢先に……。
(2008年 ベルギー/フランス/イタリア/ドイツ)
【作りは同じだが、新しい発見も】
撮りかたは『息子のまなざし』や『ある子供』と同じ。ほぼ単一の手持ちカメラで終始ロルナに寄り添い、10m以上彼女から離れることは、ほとんどない。カット数は少なめで、サントラもなしだ。
観る者は、ロルナのいる空間で、ロルナの体験や、ロルナが示す行動・感情にただ付き合うことになる。その描かれる体験・行動・感情も、過去作と同様、愚か者の捻じ曲がった心、晴れ晴れするものではない。
だからダルデンヌ兄弟の作品は、1~2本観て「こういうのもアリ」と確認できれば十分だと思う。が、それでもまた観てしまうのは、このシンプルでワンパターンな作りの中に、必ず新しい何かを発見できるからだ。
たとえば今回は「行動や出来事の最初と最後を見せない」ことで、独特のリズムを作り出している。
ドキュメンタリー風の寄り添い型作品だから、ロルナが過ごす日々における重要な場面を切り取ってつなげる、という構成になるのは当然のこと。どこを切り取って見せるか、という部分で大胆な“すっ飛ばし”による急展開を実現しているのだが、加えて、その切り取った部分の最初と最後を省略することによって各シーンに絶妙の「?」や「!」を生み出しているのだ。
序盤は少し戸惑うが、次第にそれが心地よくなっていく。
もちろん、描きかただけでなく描かれているコトに対する驚きも大きい。
あっちには国際通話専門の電話ステーションのようなものがあるらしいとか(日本国内にも出稼ぎに来ている外国人のための格安国際電話サービスはあるようだ)、国籍ブローカーの実態とか、そこでは「アルバニア人女性がイタリア人の手引きにより、まずベルギー国籍を取得してからロシア人と結婚する」という複雑な経緯が見られるとか、結果として「遺族でない妻」などという奇妙な存在が生まれるとか……。
小さな範囲を撮っただけなのに、この映画には不可思議なまでに広い「世界」が内在している。
ただしその世界は、柔らかくつながっているわけではない。カギや扉を開け閉めする場面が頻出するのは、国と国、人と人の間には、入れたくない人を締め出したり、出たくない方向へ誘い出したり、触れられたくないものを隠したりする扉が存在することの隠喩だろう。
そして人は、心の扉を必要に応じて開け閉めして、世の中を渡っていくようになる。打算を裏側に隠して親切心を見せたり、犬扱い(クローディに対するロルナの水の与えかた!)していた相手に情が移ったりといった、二面性を示すようになるのだ。
が、そもそも複雑な人間関係で成り立つ犯罪行為の中で、自分の二面性に上手く折り合いをつけられるほど人は強くない。あるいはロルナは、建物の中を実際に確認しないまま賃貸契約を結ぶほどの愚か者(それが現地での慣例だとしても。まぁ自分にも経験があるので偉そうなことはいえないが)。だからやがては、壊れることになる。
そんな、どうしようもない状況のどうしようもない人の“行く先”を描いている点も、人の真実に触れたいという欲求を刺激して、この兄弟監督の作品を観てしまうのかも知れない。
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