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2011/08/28

サンシャイン・クリーニング

監督:クリスティン・ジェフズ
出演:エイミー・アダムス/エミリー・ブラント/ジェイソン・スペヴァック/スティーヴ・ザーン/メアリー・リン・ライスカブ/クリフトン・コリンズ・Jr/エリック・クリスチャン・オルセン/ポール・ドゥーリー/ケヴィン・チャップマン/ジュディス・ジョーンズ/エイミー・レッドフォード/マッケンナ・ハットン/メイソン・フランク/アラン・アーキン

30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3

【犯罪現場の清掃を始めた姉妹】
 シングルマザーのローズは不動産取引の資格取得を夢見つつ、ハウス・クリーニングの仕事を続けていた。刑事になった元彼マックから「金になる」と聞いた彼女は、父ジョーのもとで暮らしている妹ノラを誘って新しい事業を始める。血まみれの犯罪現場を清掃する“サンシャイン・クリーニング”だ。マックとの不倫や息子オスカーの教育など問題を抱えながら、用具業者ウィンストンの助けを得て仕事を軌道に乗せるローズだったが……。
(2008年 アメリカ)

【人の生と死】
 舞台はニューメキシコの小さな町。そこで暮らす「昔はちょっとイケていたけれど、それ以外は何も持たない」というローズが主役。
 秘書だのプリンセスだのシスターだの、短期間で振り幅の大きな役に挑戦しているエイミー・アダムスだが、こういう“普通の人”もまた上手く、自身を恨んで「自分はもう少しマシだと思っていた」と吐くセリフが痛い。
 妹ノラには、姉ですら持っている“ママの記憶”もない。奔放さと投げやりの向こうに鬱屈と優しさが見え隠れする人物だ。エミリー・ブラントも、イケズな先輩よりこういう役が合っている。

 そんなふたりの行き詰まり感を、冒頭から静かに描いていく。
 後ろめたさを感じる場面はアンダーに、希望に満ちたシーンは明るく、気恥ずかしさはレッド、不安はグレーと、彼女たちの心情がそのまま絵に出ているわかりやすさがある。
 ファンシーコーンを店に置けと店主を説得するお爺ちゃん。いっぽう店内ではファンシーコーンの凄さを客の女の子に語るオスカー。で、お爺ちゃんが諦めて帰ろうとしたとき、女の子の母親が「ファンシーコーンはありますか?」と店主に尋ねる。このシーンや、ローズとノラが仕事に慣れていく様子をつづるシークエンスなどには、間(ま)のよさ軽快さもある。

 そうやって上手に「普通の人たちのイケてない暮らし」を、温かく折り重ねていく。寄り過ぎず、突き放しもしない、カメラと彼女たちの「心配する友達が見つめている」程度の距離感が、ちょうどいい

 作中いくつもの死、とりわけ多くの自殺が登場するわけだが、その死の理由が語られることはない。ただ死んだ事実があるだけ、という扱い。
 たぶん残された者としては「なぜ?」と問いたくなる。でもそこで本当に考えるべきなのは、「その人はそれまで生きていた」ということ。小っちゃな記憶を掻き集め、確かに生きていた証を自分の中に見出していくことが大切なのだ。
 その手伝いとして死亡現場の清掃という仕事があり、そこには「哀しみに暮れる人に手を貸す」という意味がある。でもやっぱり、寄り過ぎないし突き放しもしない。死をただの死として認識できるよう、キレイにする。そんな“死に対する価値観”が、本作のテーマの1つだろう。

 いっぽう、生きている人もつい後ろを振り返り、記憶にすがってしまう。往々にしてそれは「自分はもう少しマシだと思っていた」という恨み言に結びつく。また生きている限り失敗はつきもので、しじゅう「どうして上手くできなかったのか」という後悔に苛まれることになる。
 でも、とりあえずまだ生きている。そして生きている人にとっては、これまでではなく、これからが大切。失敗しちゃったら、後ろ向きになるのではなく、失敗の先を考えるべきなのだ。そんな“生に対する価値観”が、もう1つのテーマ。

 大きく叫ぶのではなく、優しく、ゆっくり、軽快に、コミカルに、人の生と死を語る作品である。

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