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2011/08/22

シリアの花嫁

監督:エラン・リクリス
出演:ヒアム・アッバス/マクラム・J・フーリ/クララ・フーリ/アシュラフ・バルフム/アイード・シーティ/エヴリン・カプラン/ジュリー=アンヌ・ロス/アドナン・タラブシ/マーリーン・バジャリ/ウーリ・ガブリエル/アロン・ダハン/ロバート・ヘニグ/ディラー・スレイマン/ラニン・ボウロス/ハンナ・アボウ=マネー/メラニー・ペレス/ヴァレンティン・ソロメノ

30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3

【見知らぬ土地へ妹が嫁ぐ日】
 イスラエルの占領下にあるゴラン高原。マジュダルシャムス村のアマルは寂しげな妹モナを気遣い励ます。今日はモナがシリアの人気タレント・タレルのもとへ嫁ぐ日。いったんシリアに入れば二度と村に戻ることはできないのだ。親シリア活動家の父ハメッド、気難しい夫アミン、追放同然でロシアへ渡ったハッテムと調子のいいマルワンというふたりの弟などに囲まれて、アマルは一族最良の日となるよう心を砕くのだった。
(2004年 フランス/ドイツ/イスラエル)

【世界は、人で成り立つ】
 まずはお勉強から。
 第二次大戦後、国連によってシリア南部パレスチナの分割が決定。その地でユダヤ人国家イスラエルが独立を宣言するが、これに反対する周辺のアラブ・イスラム諸国と衝突。以来、中東戦争が長きに渡って続くことになる。
 1967年の第三次中東戦争において、イスラエルはシリアのゴラン高原を占領、70年代には入植も始める。イスラエル側は当地に住むドゥルーズ派などのシリア人にイスラエルの市民権を与えたが、国際社会はこの占領・併合を不当とみなしており、結果、「ここに住む者は無国籍」という奇妙な状況が生まれているようだ。

 出演者は、アマル役が『扉をたたく人』のヒアム・アッバス、父ハメッドは『ミュンヘン』のマクラム・J・フーリ、その実の娘で『ワールド・オブ・ライズ』に出ていたクララ・フーリがモナ、マルワンは『キングダム 見えざる敵』のアシュラフ・バルフム、『迷子の警察音楽隊』のアイード・シーティとウーリ・ガブリエルなど、意外と見知った顔が出ていて、マイナー感はない。
 作りとしてもオーソドックス。ドキュメンタリー的なタッチは控えめ、やや説明的なセリフはあるものの、澱みなく流れ、計算されたナチュラルさと画面構成で見せるべきものをしっかり見せていくという撮りかただ。

 その、見せるべきもの、印象づけられるものとは、本来ならもっとも尊重されるべき“人権”が、形式やルールや教義を前にすると二の次にされてしまう様子だ。
 なにしろ、この日の主役であるはずの花嫁はほとんどほったらかし。モナ自身ほとんど喋らず、その扱いに甘んじる。彼女はただ、TV画面越しに新郎と対峙するしかなく、ヴァージンロードと呼ぶには殺伐としすぎる道を歩くほかない。

 そして、形式やルールや教義の無意味さを訴えるかのように「段取り」が多数描写される。式のテーブルの準備、トマトの切りかた、パスポートのやりとり、声の届くところにいる部下にわざわざかける電話……。
 ジョセフがクロスワードを解いていることからもわかるように、段取りの運用者ですら、それらが無意味なものだと自覚しているのだろう。また、ちょっとした変更で既存の段取りは破綻し、たまたまの不在で破綻からの回復も不可能となる。

 無意味かつ極めて不完全な段取りの集合体としてのシステムをもとに、この世は出来上がっている。そのシステムは国と国との争いやイデオロギーの違いから生まれたものだが、結果として、家族、あるいは人と人というミクロな単位の関係でこそ、無意味さと不完全さは深刻な問題として浮かび上がるのだ。

 ただ、本作はそこで放り投げることはしない。この閉塞状況を打ち破るのは、結局は人なのだと告げる。
 息子への理解、孫(という未来や血縁)への愛、エヴリナの医師としての技能、アマルが示す自立心、スターであるにもかかわらずパンクしたタイヤを自分で修理するタレル……など、それぞれが目の前のものを受け入れたうえで、なんとかよりよくしようと進む、人としての姿勢。あるいはマルワンの持つ無責任さだって、ときには必要となるかも知れない。いずれにせよ、その場にいる人こそが世界を変える力となる。

 アラビア語とヘブライ語とロシア語と英語とフランス語(かつてシリアはフランスの委任統治領だったそうだ)が飛び交い、イスラエル人とシリア人の間で英語を喋るフランス人が折衝するという本作はおかしな世界に見えるけれど、実は、それこそが世界の自然な姿。
 国籍もパスポートも言語も関係なく、人それぞれが、やれること、やるべきことをやってこそ、世界は成り立つ。
 その「やっていこう」「変えていこう」という決意の表れとして、モナは、無意味さと不完全さを乗り越える一歩を踏み出すのだ。

 中東問題を扱った映画は、常にカルチャー・ショックと考えるキッカケを与えてくれる。本作もまた、無国籍者の存在、ロシア人との結婚が破戒とされる不思議、イスラムの中でも異端とされるドゥルーズ派(写真だけで結婚を決める、というのはそう珍しいことではないが)など、日本人には馴染みの薄い“世界の実情”を垣間見せてくれた(どちらかといえば親シリア的な内容の本作がイスラエルで作られたという事実も興味深い)。
 世界を知るために観るべき1本である。

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