路上のソリスト
監督:ジョー・ライト
出演:ジェイミー・フォックス/ロバート・ダウニー・Jr/キャサリン・キーナー/トム・ホランダー/リサ・ゲイ・ハミルトン/ネルサン・エリス/レイチェル・ハリス/スティーヴン・ルート/ロレイン・トゥーサント/ジャスティン・マーティン/マルコス・デ・シルバ/ジェナ・マローン
30点満点中17点=監3/話2/出4/芸4/技4
【信じ続けること、奏で続けること】
ロサンゼルス・タイムズ誌のコラムニスト、スティーヴ・ロペス。誰も愛せないことを自認し、同紙デスクのメアリーとも離婚、記事は「仕事」と割り切る男。そんな彼がある日出会ったのは、路上でバイオリンを弾く統合失調症のホームレス、ナサニエル・エアーズ。ナサニエルがジュリアード音楽院に通っていたことを知ったロペスは、彼のことを記事にする。初めは「ネタ」の1つに過ぎなかったが、ナサニエルの才能に触れたロペスは……。
(2009年 イギリス/アメリカ/フランス)
【解体と再構築】
ベートーベンの持つ“風格”が映画の格も高めることは『ソイレント・グリーン』で認識ずみ。『ウェルカム・トゥ・サラエボ』で明らかなように、チェロの音も映画に馴染む。
少年期のナサニエルが腕に弦を描いて指使いを練習するシーンがいい。また高架の下のトンネルで初めてチェロを弾くシーン(ダリオ・マリアネッリの『A City Symphony』)は、音楽の力とナサニエルの才能を視覚的・聴覚的に上手く表現した名場面だ。
ナサニエルとともにLAフィルの演奏を聴いたロペスは、その際の興奮をまくし立てる。彼の言葉からうかがえるのは、音楽を聴くという行為はただ個としての体験ではなく、作曲家、演奏者、ともに聴く人、すべてひっくるめての「感動という神が宿る時空にいる幸福」だという価値観だ。
こうして、音楽映画としての要素が数多く散らされる。当然、音のオン/オフ、街の音と演奏との鬩ぎ合いなどサウンドメイクには凝った作りとなっている。
とりわけ、ナサニエルの音だけを曲から抜き出す、という聴かせかたに大きな意味がこめられていると感じる。名前のスペルを1文字ずつ伝える場面が頻繁に出てきたり、離婚した元夫婦が優しい時間を過ごしたり、壊れかけた友情を取り戻したりすることと合わせて「解体と再構築」がテーマになっているように思えるのだ。
不景気、リストラ、蹉跌、心の病、暴力、新聞を読まない現代人、プール付きの家、投げ捨てられるタバコ、ホームレス……。バラバラに見えても、実はすべてが「社会」という枠の中でつながっている。それらを1つ1つ解きほぐして、本来あるべきところへ収める、そのための小さな歩みを描いた作品ではないかと思えるのである。
人物ひとりひとりが社会の構成要素であると告げるように、カメラは空間を大きく動き、俯瞰も交えて、上と下、右と左、手前と奥といった世界の広がりを意識させる。舞台となるトンネル、公園、ストリート、アパートなどにも実在感があり、ロペスやナサニエルがまとう服装も彼らの「いま」を上手く表している。
一気に過去へ飛んだり、ポンと外す間(ま)やカットを挿入したりで、リズムを作り出す(共感覚はちょっとやりすぎだと思うが)。
と、全体としては良質な仕上がりだが、やや散文的というか、勝手にまとめちゃったというか、「ロペスがナサニエルからどんな感情を受け取り、どういう方向で彼と関わっていくと決意したか」という部分については舌っ足らずに終わっている印象も残る。
それでも「将来のヴィジョンは、やることをやって死ぬこと」というナサニエルの言葉通り、自分の目の前にある「関わらずにいられない問題」に対して、ひとまず自分のできることをやってみる、そんな行動価値観を教われる映画ではあるだろう。
●主なスタッフ
撮影のシーマス・マッガーヴェイ、プロダクションデザインのサラ・グリーンウッド、衣装デザインのジャクリーン・デュランは、すべてジョー・ライト監督作『つぐない』の面々。サウンドデザインは『ノーカントリー』などのクレイグ・バーキーと『パンチドランク・ラブ』などのクリストファー・スカラボシオ。
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