プライド&グローリー
監督:ギャヴィン・オコナー
出演:エドワード・ノートン/コリン・ファレル/ノア・エメリッヒ/ジェニファー・エール/ジョン・オーティス/フランク・グリロ/シェー・ウィガム/レイク・ベル/マニー・ペレス/ウェイン・デュヴァル/ラモン・ロドリゲス/リック・ゴンザレス/マクシミリアーノ・ヘルナンデス/レスリー・デニストン/ハンナ・リギンス/カーメン・ロポート/ルーシー・グレイス・エリス/ライアン・シンプキンス/タイ・シンプキンス/ラクエル・ジョーダン/ジョン・ヴォイト
30点満点中17点=監3/話3/出4/芸3/技4
【警官殺人犯を追う兄弟の苦悩】
クリスマス目前のニューヨーク。麻薬捜査班4名が売人のアジトに踏み込んだものの、激しい抵抗に遭って命を落とす。どうやら直前に何者かが警察の動きをタレ込んだらしい。署長のフランシス・ティアニーは、弟レイを含む特捜チームを早速編成、逃走中の犯人テッゾの逮捕を命じる。いっぽうティアニー家の義弟でもある麻薬捜査班のジミーは、仲間たちと独自にテッゾの行方を追っていたが、そこにはある裏の事情が絡んでいた。
(2008年 アメリカ/ドイツ)
【丁寧だが地味】
アンダー気味の画面で、ドキュメンタリー・タッチを交えながら各人物を近くで追うような撮りかた。あるときはテキパキと、あるときはジックリと出来事と心情を見せていく。
熟練スタッフの作り出す“ゆったりしているけれどダレない”空気感が全編を覆っているような印象だ。
街のノイズを丹念に拾い上げ、次のシーンの音を早めに乗っけて、要所にはマーク・アイシャムのサントラを効かせるなど、音関係の仕事も丁寧。
全体として、真面目に、ピンと張り詰めた空気を維持させながら、しっかりと作ってある、というイメージ。エドワード・ノートン、コリン・ファレル、ノア・エメリッヒ、ジョン・ヴォイト、それぞれの悩める男っぷりも申し分ない。
が、いいかたを変えれば地味。映画としての“格”はあるし、最後まで見せ切る力感もあるんだけれど、華や面白味には欠ける。
そもそも警察内部の腐敗なんて、さんざん使われてきたテーマ。本作内の事件もとりたててショッキングだったり意表を突いたりするものではなく、真新しさは感じられない。それを「真面目に、しっかりと」撮るだけでは地味になっても仕方ないか。
ただ「家族」という存在を大きくフィーチャーしている本作の意図は、どうやら警察内部の腐敗と民族とを絡めることにあったようだ。
ゲール語やアイリッシュ・パブが登場するように、ティアニー家はアイルランド系。で、Wikipediaで調べてみると、次のようなことらしい。
移民として比較的後発だったアイルランド系は、危険な仕事にしかありつけず、また血気盛んな気質ともマッチして、警察官、消防士、軍人などに就く者が多かった。以後、代々で警官や消防官を勤める家系も少なくない。ニューヨーク市警察では警察学校の卒業式でバグパイプの演奏がおこなわれるなど、民族と職業との強い結びつきは文化にまで影響を与えている……。
合衆国の平和を維持してきたという、まさに「尊厳と栄光」が、彼らにはあったはず。そんな、強固なはずの民族としての自尊心、職業人としてのモラル、家族間での信頼、それらがいっしょくたに失われつつある現代の悲哀を描きたかったのかも知れない。
「ボートの水漏れは自然の摂理」
ジョン・ヴォイト演じる父親の皮肉めいたセリフが印象深い。その水漏れを直すために必要なのがプライド&グローリーだと静かに説く映画、といったところである。
多くの登場人物が、理性ではなく感情に任せて家族や仲間を庇う行動を見せる。そこは民族性を離れて共感できる点であり、その気質こそが「尊厳と栄光」を支えてきたこともわかる。が、日本人には馴染みのない歴史的・文化的背景が根っこにあることも、面白味を薄れさせているのだろうと思う。
●主なスタッフ
撮影監督は『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』や『レイチェルの結婚』のデクラン・クイン、編集は『サイダーハウス・ルール』や『ムーンライト・マイル』のリサ・ゼノ・チャージンと『フィクサー』や『デュプリシティ~スパイは、スパイに嘘をつく~』のジョン・ギルロイ。
サウンド・エディターは『インクレディブル・ハルク』などのエリック・リンダーマン。
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