セントアンナの奇跡
監督:スパイク・リー
出演:デレク・ルーク/マイケル・イーリー/ラズ・アロンソ/オマー・ベンソン・ミラー/ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ/ヴァレンティナ・チェルヴィ/オメロ・アントヌッティ/セルジオ・アルベッリ/リディア・ビオンディ/マッテオ・ロモリ/マッシモ・サルチェッリ/ジセルダ・ボロディ/ジュリア・ウェーバー/ヤン・ポール/D・B・スウィーニー/ロバート・ジョン・バーク/オマリ・ハードウィック/マックス・マラテスタ/アレクサンドラ・マリア・ララ/ウォルトン・ゴギンズ/スティーヴン・テイラー/トリー・キトルズ/ジョン・タートゥーロ/ジョセフ・ゴードン=レヴィット/ジョン・レグイザモ/ケリー・ワシントン/レオナルド・ボルゾナスカ/ルイジ・ロ・カーショ/マッテオ・スキアボルディ
30点満点中19点=監4/話4/出3/芸4/技4
【あの日、バッファロー・ソルジャーに起こったこと】
客として現れた男を突然射殺した郵便局員ヘクター。さらに彼のアパートからは数百万ドルの価値がある彫像の頭部が発見される。へクターが語り始めたのは、40年前、大戦当時の出来事。黒人部隊「バッファロー・ソルジャー」の一員として伊トスカーナへと送り込まれた彼は、スタンプス、ビショップ、トレイン、偶然助けた少年アンジェロとともに、ある村で孤立することになる。ナチスに囲まれた地で、彼らは脱出法を模索するのだが……。
(2008年 アメリカ/イタリア)
★ややネタバレを含みます★
【ネガティヴか、ポジティブか】
奥行きを重視した絵が作られ、カメラは立体的に動き、そのカメラの周囲を人も動く。石壁のザラつき、曇天、錆色の村といった質感・空気感を再現すべく、コントラストや色調や露光がコントロールされる。
カットは細かく割られ、キレよくつなげられ、「このシーンのために用意しました」的なサントラには音楽で物語を進めるような気配もある。
メイク、特効、美術などもしっかり整えられ、全体として重厚かつ濃密さに覆われた作りだ。
回想が入り混じり、視点もあちらこちらと交錯するストーリーはやや未整理にも思えるが、多くの出来事や人物が次第に1つの線となってつながっていく構造は面白く、最後まで観る者を引っ張っていくパワーに富む。
こんなことがありました&撮りました、ではなく、こういうお話を語りたい&こう作りたい、という意志を感じる、格のある仕上がりといえる。
さて、感動のエンディングの陰にあるその意志は、実は、少々ネガティヴなメッセージであるように思える。
まずは「神の不在」。守るべき国が本当にあるのかと悩み、この世を生きる場所に値しないと感じるソルジャーたち。神の慈悲に恵まれない被差別人種および絶体絶命の危機に瀕した兵士としての彼らの様子は、人を救うはずの神など存在しないと告げるようだ。
と同時に「『神が望む姿としての我ら』の不在」も語られる。ルールに基づいた殺し合い=戦争に興じ、ところがそのルールすら捻じ曲げ、信じず、許さず、裏切り、誤った判断で地獄へと突き進み、自分以外の犠牲には露ほどの感心も示さない。そうした愚かで出来損ないの“人”だからこそ、神も慈悲を与えないのだと感じさせる。
無慈悲な世で、愚かな存在として生を永らえる。「私だけが残った」というヘクターの悔恨は、そのことに対する神への恨み言のようにも思える。
それでも最後には十字架へと戻る人間は、やはり愚かなのだろうか。それとも「懸命になって救った小さな命が、やがて大勢の命を救うことになる」という、まさしくこのお話における“救い”を、人が成し得る奇跡として誇らしく思うべきなのだろうか。だとすれば、少しはポジティブに希望も沸いてくるのだが。
観る者の宗教観・人生観を問う作品といえるかも知れない。
●主なスタッフ
撮影は『レクイエム・フォー・ドリーム』や『ゴシカ』のマシュー・リバティーク、編集は『25時』のバリー・アレクサンダー・ブラウン。
プロダクションデザインはトニーノ・ゼラ、衣装デザインは『ブラザーズ・グリム』のカルロ・ポッジョーリ。
音楽は『インサイド・マン』のテレンス・ブランチャード、サウンドチームは『エターナル・サンシャイン』のユージーン・ギアティとフィリップ・ストックトン。
SFXは『ジャンパー』などのダニエル・エイコン、VFXは『スター・トレック』のグラディ・コファーらILMのチーム。スペシャル・メイクは『アポカリプト』のジュセッペ・デシアート、スタントは『パッション』のフランコ・マリア・サラモン。
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