エスター
監督:ジャウマ・コレット=セラ
出演:ヴェラ・ファーミガ/ピーター・サースガード/イザベル・ファーマン/CCH・パウンダー/ジミー・ベネット/アリアーナ・エンジニア/マーゴ・マーティンデイル/カレル・ローデン/ローズマリー・ダンスモア/ジェイミー・ヤング/ジェネリー・ウィリアムズ
30点満点中18点=監4/話2/出4/芸4/技4
【彼女が家族にもたらすのは、災い】
建築士ジョンと音楽教師ケイトのコールマン夫妻は、3人目の子となるはずだったジェシカを流産のため失う。痛手からようやく立ち直り、ふたりは孤児院から9歳の少女エスターを養子として迎えた。絵を描くことが好きで聡明な彼女だったが、行動にはどこか妙なところがあり、過去についても不審な点が多い。やがてエスターの周囲ではさまざまな事件・事故が起こり、コールマン家の実子であるダニエルやマックスにも危機が近づくのだった。
(2009年 アメリカ/カナダ/ドイツ/フランス)
★ややネタバレを含みます★
【キャストの“引っ張り力”が良】
監督はCM出身らしい。そのせいか映像的センスとテンポのよさが目立つ仕上がりだが、鋭角的なイメージだけが突出するわけではなく、映画としての上手さや味もある。
多用される俯瞰、あるいは人の向こうに見える意味ありげな何か、といったカットで盛り上げるスリル。2つの鏡にケイトの頭と胴体を分けて映すことで、バラバラになりそうな彼女の精神を印象づける。その鏡を利用した驚きや、ジュワンっという音とともに示される「!」。まずは手堅いサスペンス&ショッカー演出。
あるいは手持ちカメラで人物を追い、その場&近い距離で対象を捉えるドキュメンタリー・ライクなカットも盛り込み、それを細かくつないで疾走感のようなものも創り出す。
かと思えばヒューマン・ドラマ的な落ち着いた描写もあって、たとえばマックスを寝かしつけるためにケイトが絵本を読む場面では「子どもは残酷だが、その純真さが救いにもなる」と感じさせるし、ジェシカの灰をまいた花壇についてエスターに説明するくだりも、それなりにしっとり。
スタッフにそれほど大きなキャリアがあるわけではなく、監督自身も長編の経験はわずか。だが、コンパクトかつシャープな作品でアシスタントなどとして腕をふるってきた各スタッフの技量を引き出し、綺麗にまとめてみせている。
ただ、やはり特筆すべきは役者たちだろう。
ヴェラ・ファーミガは「巻き込まれたママ」としてのパニックをそつなく演じるとともに、可愛さと錯乱をプラス、上手さを再確認させてくれる。ピーター・サースガードも、いい意味で主張や個性を消し、こういう話におけるパパ役をまっとう。アリアーナ・エンジニアちゃんはフィルム初挑戦のようだが、難聴の少女という難しい役をナチュラルに演じている。
で、何といってもエスター役のイザベル・ファーマン。妖艶な眼と冷たい口調、歯並びの悪さとリボンとソバカスで、“大人と子どもの間”を見事に体現するキャスティング。この年齢不詳で気味の悪いマセガキが登場する孤児院の場面で、もうこの映画は「勝ったな」と思わせるのだが、まさかここまで物語の本質にかかわってくるとは……。
まぁ「そこまで非道なことを重ねてタダですむわけなかろう」と感じさせるなど少々強引なところのある話(原案はレオナルド・ディカプリオの製作会社の開発担当アレックス・メイス、脚本はフランク・ダラボンのアシスタントを務めたデヴィッド・レスリー・ジョンソン)であり、とりわけ、要所に味のある序盤に比べて終盤~クライマックスの乱暴さは残念なのだが、大きく破綻せず、エスターの正体について一応の伏線やエクスキューズも用意されていて、「いくらなんでも、それはない」と落胆するレベルではない。
突然やって来た異分子に乱される平穏、という古いドラマに、「その異分子は実は……」というちょっとしたアイディアをプラス、技術とセンスでスマートにまとめきった作品として、まずまずのデキといえそうだ。
●主なスタッフ
撮影は『コンスタンティン』のジェフ・カッター、編集は『スケルトン・キー』のティム・アルヴァーソン。美術スタッフは『ブルークラッシュ』のトム・マイヤー、『シューテム・アップ』のパトリック・バニスター、『ラッキーナンバー7』のピエール・ペローらで、音楽は『ゴシカ』や『セルラー』などのジョン・オットマン。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント