トレインスポッティング
監督:ダニー・ボイル
出演:ユアン・マクレガー/ユエン・ブレムナー/ジョニー・リー・ミラー/ケヴィン・マクキッド/ケリー・マクドナルド/ピーター・ミュラン/ジェームス・コズモ/アイリーン・ニコラス/スーザン・ヴィドラー/ポーリーン・リンチ/シャーリー・ヘンダーソン/スチュアート・マッケア/ロバート・カーライル
30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3
【ジャンキーたちの日常】
スコットランド、グラスゴー。ジャンキーのマーク・レントンは、彼女から“お預け”を喰らっているスバッドや、007マニアのシック・ボーイ、マッチョなトミー、ケンカ中毒のベグビーらと、つるむ毎日。バーで酒を飲み、通称“修道院長”のアパートでドラッグに興じている。これが最後と自分に言い聞かせつつ、結局はまた注射、親のカネを盗み、暴走し、ふと女性が欲しくなり……。そんな自堕落で破滅的な生きかたの行く先は?
(1996年 イギリス)
【みぃんないっしょなのだ】
序盤では「人であることを捨ててまで快楽を求めるって、どういうことなんだろう?」と考えたりもしたけれど、なんてことはない、すべてはイコールなのだ。
汚いもの、弱いもの、ダメなヤツ、ダメなヤツの面倒を見る人、クソとゲロとスープ、ベッドの上の行為、ドラッグ、サッカー、大人も子どもも酒もヨタ話も、すべてがイコール。モノにあふれた人並みの生活と、快楽に溺れる一瞬も、みぃんないっしょ。
レントンは「神の助けを借りて更生します」と反省し、それに対して裁判長は「こんなバカの口から神の名が出るとは」と不快な顔を見せる。けれど神に縋るのも安直に神を語るのも、結局は同じこと。
あらゆるものが等号で結ばれる。その先頭にあるのは「たいして意味のないこと」であり、末尾に来るのが「人間社会」なのだろう。
そういう様子・真理を、低い位置から見上げたり天井から見下ろしたり、寄ったり動いたり、多彩なカメラワークでテンポよく見せていく。
ゴミ溜めのような部屋と、いつゴミ溜めになってもおかしくないフツーの生活などを上手に作り出した美術(『シャロウ・グレイブ』のケヴィン・クイン)や、イギー・ポップから『カルメン』までニギヤカな音楽も含め、ぐっちゃぐっちゃの生活感とシュールとが混在一体となった世界が、なぁんか不潔で破滅的で愛らしい。
そして、閉塞感も疾走感もイコールなんだよ、という雰囲気が全編から漂い出す。
ただ、ある種の破滅を、意味のないこと=人間という等号式を、「一度失った成功は、二度と取り戻せない」という事実を、シニカルに描きながら、どういうわけか突き放したイメージはなく、レントンのモノローグを基調とした作り+カメラと対象との距離感によって、近さや温かさというものも感じさせる。
たぶんダニー・ボイルは「意味のないこと=人間」という事実に気づいた自分が、そして自分自身もまた人間であることが、決してイヤじゃないんだろう。そういうこともわかる。
で、グロくてポップで安くてセンスがあって諦観にも愛情にも満ちていて意味がなくて、「それらがごっちゃになって共存する人間(としての生活)を、どういうものだと考えますか? また、あなたは自分が人間であることをどう思いますか?」と訊ねてくる、そんな作品である。
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