アーティスト
監督:ミシェル・アザナヴィシウス
出演:ジャン・デュジャルダン/ベレニス・ベジョ/ジョン・グッドマン/ジェームズ・クロムウェル/ペネロープ・アン・ミラー/ミッシー・パイル/ベス・グラント/エド・ローター/ジョエル・マーレイ/ビッツィー・トゥロック/マルコム・マクダウェル/アギー(ザ・ドッグ)
30点満点中16点=監3/話2/出4/芸4/技3
【サイレントからトーキーへ、過渡期の苦愛】
1927年。ジョージ・ヴァレンティンは映画界のトップスターとして全盛期を迎えていた。彼に憧れる女優志望のペピー・ミラーは、ヴァレンティンとの幸運な出会いを機に銀幕デビューを果たし、エキストラから端役、やがて主役級へと駆け上がっていく。折しも映画界はサイレントからトーキーへの過渡期。ペピーは新時代のヒロインとして頂点に立ち、いっぽうジョージはサイレントにこだわって失敗、世間から忘れ去られようとしていた。
(2011年 フランス/ベルギー)
【パッケージとしてのサイレント映画】
表現手段としての映画の本質……セリフによる説明に頼らず、演出、役者の芝居、撮影、美術や音楽などパーツの総合力でストーリーを語りメッセージを伝えることができる……を考えれば、いまの時代にあってもサイレントは歓迎すべき手法だといえる。
ただ本作の場合、モノクロ、定点的なカメラと大仰にナナメからヨコから捉えるアングル、挿入される字幕、そして「誇張された演技」など、“サイレントで撮る”のではなく“サイレント映画を撮る”といった趣。
要は、サイレント時代を舞台とする物語を、当時作られていた映画のようにやってみた、というイメージ。前述の映画の本質部分はあまり考えずに作られた、パッケージとしてのサイレント映画に思える。
もちろん、セリフは極端に抑えられているからそれなりには「見せてわからせる」というベクトルは感じる。クルマのエンジン、犬の鳴き声、衝突など“音にならなかった音”が重要な意味を持つ展開・描写も、サイレントであることを強く意識させるための工夫として面白い。
が、ストーリーまでもが当時の(というか、二流の漫画家が考えそうな)安い骨格で、観る者を引っ張っていけない。予想の範囲内ですべてが進み、伏線は不足気味、スッキリ感もない。
おまけに1カット/1シーンが微妙に長いから、リズムも出ない。
それほど難しいお話じゃないんだから、いっそ挿入字幕の助けなんか借りずに(字幕翻訳も拙かったし。言語の微妙なニュアンスや韻のようなものが上手に表現できていないように感じた)まとめればよかったのに。
褒めるべき点としては、当時の空気作りに大きく貢献した美術や衣装と、軽快さと重厚さとを併せ持つ音楽か。
あと、主演ジャン・デュジャルダンの不思議な存在感は立派だし、犬のアギーは助演男優賞モノの名演技を見せてくれる。
けれど全体としては、正直いって、作る前段階=「どんなものを作るか」というベクトル設定から実際の仕上がりに至るまで、ちょっと期待はずれの作品。
●主なスタッフ
プロダクションデザインは『クラッシュ』のローレンス・ベネット、衣装は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のマーク・ブリッジス。
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