オーケストラ!
監督:ラデュ・ミヘイレアニュ
出演:アレクセイ・グシュコフ/ドミトリ・ナザロフ/メラニー・ロラン/フランソワ・ベルレアン/ミュウ=ミュウ/ヴァレリー・バリノフ/リオネル・アベランスキ/ローレン・バトー/ウラド・イワノフ/アンナ・カメンコヴァ/ロジェール・デュマス/アンジェル・ゲオルギュー/アレクサンドル・コミサロフ
30点満点中19点=監4/話4/出4/芸4/技3
【名オーケストラ、復活の夜】
共産党政権によって縮小された名門ボリショイ交響楽団。指揮者アンドレイもいまは劇場の掃除夫として働く身だ。パリ・シャトレ座からの出演依頼状を入手した彼は、自分たちが乗り込む計画を立て、友人サーシャとかつての団員を集める。演目はもちろん、30年前のあのときと同じチャイコフスキーのバイオリン協奏曲だ。さらにソリストとしてアンヌ=マリーを指名するが、初共演となるアンドレイとアンヌ=マリーには、ある関係があった。
(2009年 フランス/イタリア/ルーマニア/ベルギー/ロシア)
【イケている音楽映画】
題材はオーケストラ、舞台はロシアとフランス、知った名前と見たことのある顔はわずか。ストーリーも「楽団が復活する」というだけの話である。だから、もうちょっと地味目でしっとりとした映画かと思っていたのだが、意外にもエンターテインメント。
アンドレイとサーシャが救急車を駆って(死んだように生きている自分たちを救うんだ、という意味もこもっていて、いい感じ)旧楽団員を集めるシーンは、まるで刑事アクションのようなカメラワークでテンポも軽快。と思ったら、ホントにいきなり銃撃アクションになっちゃうし。
以後も、共産党復活に情熱を燃やすガヴリーロフや亡命・出稼ぎ気分でパリに乗り込む楽団員たちがコメディパートを、アンドレイとアンヌ=マリーがミステリー&人間ドラマを担当し、両者のバランスを上手く取りながら弾むようにお話は進む。流麗なサントラ(もちろんクラシックが中心)ともあいまって、なかなかに楽しい。
だいたい、オープニングからイケている。暗い中に浮き上がる演奏者と指揮者の手。実際には明るい場所でおこなわれているはずだが、こういう「ウソでもいいから雰囲気で」という、気の利いた場面を作る意志のようなものが全編にあふれていると感じる。
それに、楽器から出てくる音と撮りかたとで、その場の空気まで変えてしまうのが素晴らしい。「すごいものを見せたいときは『すごい』というな」を実践する、映画らしい仕上がり。
こうして、考えてみればちょっと無理のある設定も、リアリティと情感と楽しさに満ちたものへとなっていく。
もうひとつ、「世界は女性にかき乱され、女性に支えられている」というテーマがひっそりと乗っけられているのも面白い。「行かなかったら離婚」と夫を後押しするアンドレイの妻、「太陽は毎日昇る」というサーシャの祖母、ガスの帝王の母、ギレーヌ、レア、そして、すべての想いを結びつけるアンヌ=マリー。
音楽=美、美=女性とするなら、女性を中心に回る音楽モノというストーリープランもまた、人の世の真理を突くという意味で気が利いているといえるだろう。
主要スタッフは当然のようにフランス系なのだが、なぜか脚本に『続・激突!/カージャック』のマシュー・ロビンスも参加。こうした異分子の参加が生きているのかも知れない。
役者陣では、苦悩のアンドレイ=アレクセイ・グシュコフ、素朴な中に熱さも抱えるサーシャ=ドミトリ・ナザロフ、空回りに似た奮闘を見せるガヴリーロフ=ヴァレリー・バリノフもいいが、やはりアンヌ=マリーを演じたメラニー・ロランが秀逸。その美貌が作品に華をもたらすだけでなく、売り出し中のバイオリニストという設定にもハマり、演奏シーンも見事。例の鎖骨のホクロもちゃんと見せてくれるし。
さて、ここまで、音楽は夢であり、思想であり、狂気の源であり、人生であるというメッセージを漂わせてきた本作のクライマックスは、もちろん演奏会。そこでは、それらすべての想いが昇華して、音楽はただ音楽になるということ、そうやって生まれた音楽は音楽そのものとしてのパワーを持つということを、美しく告げる。
音楽はそういうスタンスで演奏し、そういうスタンスで聴く、と教えてくれるかのような『音楽映画』である。
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