ノー・マンズ・ランド
監督:ダニス・タノヴィッチ
出演:ブランコ・ジュリッチ/レネ・ビトラヤツ/フイリプ・ショヴァゴヴイッチ/ジョルジュ・シアティディス/セルジュ=アンリ・ヴァルック/サシャ・クレメール/アライン・エロイ/ムスタファ・ナダレヴィッチ/ボグダン・ディクリッチ/サイモン・キャロウ/カトリン・カートリッジ/ターニャ・リビッチ/ブランコ・ザヴルサン
30点満点中19点=監4/話4/出4/芸4/技3
【中間地帯で取り残された男たち】
セルビア軍とボスニア軍が、わずかな距離を挟んで向かい合う最前線。その中間地帯=ノー・マンズ・ランドにある塹壕に、ボスニア兵のチキとツェラ、セルビアのニノが睨みあったまま取り残されてしまう。しかも横たわるツェラの体の下にはジャンプ型地雷が埋められていて、彼は身動きの取れない状況だ。事態を知った国連防護軍のマルシャン軍曹は解決のため奔走するのだが、微妙な場所で起きた微妙な出来事だけに……。
(2001年 ボスニア・ヘルツェゴビナ/フランス/スロヴェニア
イタリア/イギリス/ベルギー)
【戦争とは何か?】
初めて観た際に受けた衝撃は、2度目でもそう変わらない。これほど鮮やかに「戦争というもの」を描いた作品は多くないだろう。
睨みあう両軍、その前線に散らされるのは、「悲観論者は『いまが最悪』と信じ、楽天家は『次が最悪』だと考える」といったセリフや、ベテラン兵士がゲイであることを示す写真、アコーディオン弾きの少年など、一瞬のユーモアと緩みの数々。また、日の出直後のいきなりの銃撃、譲り合いの後の殺伐とした対峙など、展開は急。
そうした敵味方入り乱れての騒動を、生々しさが伝わる距離感で捉えていき、こちらまで胃が痛くなるような描きかた。
わずかな希望が見えたかと思ったら、すぐさまかき消してみせる。緩和と緊張のスパイラルの中で、結局は絶望と無力感だけがこの世界を支配しているのだという終幕へひた走る。
飛び交う言語は多彩。ボスニア人もセルビア人もフランス人もイギリス人もドイツ人もよってたかって事態を突っつくが、昨日まで民間人だった兵士たちにはどうすることもできず、国連軍は右往左往、上官は責任を背負い込むことを恐れ、マスコミは儲けしか考えない。
耳が確かなら、大佐が駆けつけた際に「デウス・エクス・マキナのお出ましだ」というセリフが大尉から吐かれたと思うのだが、しょせん彼も人間、卓袱台返しなどできはしない。
要するに、袋小路。
マルシャン軍曹は「戦争に中立などない。傍観と加担は同じだ」と憤る。チキとニノの対立からは「命が危険にさらされると簡単に翻してしまうような安っぽい思い込みが根底にあり、些細なことでいがみあい、それが積み重なって殺しあいへと至る」という戦争の成り立ちが見える。
が、それよりも何よりも、この“袋小路”、誰にも何にもできない状況こそ戦争そのものなのではないか。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を題材としているが、きっとすべての戦争で同じことがいえるはずだ。
そして最後は、神の視点で幕を閉じる。本物の神も、この袋小路をどうにかする術を持たない。あるいは、ただ見ているだけ。「傍観と加担は同じ」だとするなら、僕らが好んで戦争という袋小路を作り出しているのも、もともとは神の焚きつけなのかも知れない。そんなふうにも思えてくる。
考えるべきは、袋小路に迷い込まない知恵を身につけることか、それとも行き止まりに穴を穿つ強さを育むことか。どちらの道も結局は絶望と無力感に辿り着くのかも、だけれど。
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