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2013/02/15

エグザム

監督:スチュアート・ヘイゼルダイン
出演:アダル・ベック/ジェンマ・チャン/ナタリー・コックス/ジョン・ロイド・フィリンガム/チュクゥディ・イウジ/ポリアンナ・マッキントッシュ/ルーク・マブリー/ジミ・ミストリー/クリス・ケアリー/コリン・サーモン

30点満点中16点=監4/話3/出3/芸3/技3

【質問は、何だ?】
 8つの机が並び、その上には紙が計8枚。そんな狭い部屋に集められた4人の男と4人の女。人種も背景も異なる8人が臨むのは、ある企業の採用試験・最終段階だ。試験監督は「質問は1つ。答えも1つ」という言葉を残して部屋を去る。制限時間は80分。ニックネームで呼び合うことにした彼らは“ホワイト”を中心に、手にした紙に質問が隠されていると推測してさまざまな手を試す。だが、やがて信頼関係が揺らいでいき……。
(2009年 イギリス)

【肝心な部分が疎か】
 この十数年、「閉鎖空間での理不尽な命懸けゲーム」は映画や小説やコミックにおける主要テーマの1つ。その系譜の中に収まる作品だが、確固たる位置を獲得するには至らなかった、というデキ。

 見せるものを適確に見せ、狭い部屋と限られた登場人物でも単調にならないよう場を捉えたりして、退屈はさせないし、必要以上に安っぽくもなっていない。とりわけ序盤、試験監督による説明シーンは、ミニマルな音楽で緊張感を高めて息苦しさを創出。導入部として十分に期待を高めてくれる。

 また、この手の話では「なぜ彼らが、わざわざこんなことに挑まなければならないのか?」というエクスキューズの部分も重要となるはずだが、その設定(疫病の蔓延)の突飛さも許容範囲だろう。「これこれこうだから」という説明もクドくならないよう済ませ、設定を展開に生かすことも忘れてはいない。
 紙を灯りに透かしてみたりなど、制約の中で悪戦苦闘する8人の行動にもまずまずの説得力はある。
 肝心の「彼らに投げかけられた質問は何だったのか?」「それに対する答えは何なのか?」に関しても、まぁ解き明かしかたは単純すぎるけれど、そこそこの意外性と、ストンと腑に落ちる鮮やかさもあるといえる。

 監督にほとんどキャリアがなく、スタッフも、たとえば撮影のティム・ウースターは『チャーリーとチョコレート工場』のセカンドユニットのカメラオペレーターだったり、音楽のスティーヴン・バートンは『ゴーン・ベイビー・ゴーン』のアレンジャーだったりと、アシスタント・クラスの人たち。その割には、それなりにカチっとまとめられている。

 ただ、8人の行動と行動、行動とリアクションを“つなぐ”部分、すなわち彼らの心理や会話が疎かになっているという印象を受ける。

 せっかく個性の異なる8人を揃えているのだ。オープニングでは彼らをクローズアップして生々しさを伝えているのだ。ならば「この人はこういう性格だから、こうする」「こいつはこういう問題を抱えているから、そんな行動を取る」という、キャラクターと行動とを“つなぐ”部分での妥当性を、全編に渡ってもっと大切にするべきだったはず。

 発病者であるホワイトと、心理学を学び元軍人でギャンブラーでもあるというブラウンは、まぁまぁキャラクターが立っているけれど、それにしたって観る者に納得できる「人物と行動の相関」かというと、そうでもない。それぞれの人物像が明確でないため、会話もヘンにまわりくどく聴こえるし、「その人だからこそ出てきた言葉」と思えないし。

 なぜ、どんな人物を採用したいか、という裏テーマも考え合わせると、そういう「心理と行動とをつなぐ」部分の描写こそ、本作が取り組むべき課題だったのではないだろうか。

 で、閉鎖空間における行動のバリエーションとか、人物像とか、結末の意外性とか、そのあたりをひっくるめて力ずくで観る者をねじ伏せてしまい、なぜそんなことに挑まなければならないかというエクスキューズなんか知ったこっちゃないと寓話の域に昇華させてしまった、このカテゴリーのパイオニアともいえる『CUBE』が、どんだけ凄かったかを再認識しちゃったりするわけである。

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