カラフル
監督:原恵一
声の出演:冨澤風斗/宮崎あおい/南明奈/まいける/入江甚儀/藤原啓治/中尾明慶/麻生久美子/高橋克実
30点満点中17点=監4/話3/出3/芸4/技3
【もういちどやり直す人生】
死んだはずの僕は、天使プラプラから「おめでとうございます。あなたは抽せんに当たりました」と告げられる。生前の記憶を失くしている僕は、実は大きな罪を犯し、このままだと輪廻の輪から外され消滅してしまう。それを避けるためには、自殺を図った中学生・小林真として生まれ変わり、人生に再挑戦しなければならないというのだ。新たな生活を始めた僕だったが、小林家や学校での生活には、山のような問題が待ち受けていた。
(2010年 日本 アニメ)
【大人目線ではあるけれど】
ある意味、ガッシリとした仕上がり。
たとえば細かく細かく世界が描き込まれる。街並、室内、学校など、どこにでもある場所をどこにでもあるもので構成し、ディテールにこだわって描写していく。
キャラクターたちには、それほど強烈なインパクトのないデザインが採用される。人物のサイズの差や肉づきはリアル世界に近い形、死者に至ってはほぼ同一で無個性な外観だ。
真の退院時、「今日は和室」と食事の場所を変えるのは、死んだ祖母にも喜んでもらおうという当然の配慮。早乙女が母親とそっくりというのも、ありがちなこと。廃止になった路線の跡を歩く趣味なんか、地味で暗くって、でも「何かに取り組んでいる」という充実感を与えてくれて、思ったよりも楽しくって、やる人も意外と多いホビー。
そうして“平凡”が緻密に練り上げられていく。
作っているスタッフは、脚本も音楽も“純アニメ畑”といえる面々。その矜持としての「アニメで描けるだけ描いたリアルな平凡」が出現しているわけだが、いっぽうで主要キャストは役者・タレントで占められ(佐野唱子役の宮崎あおいが、意外と味があっていい感じ)、挿入歌にはメッセージ性の強いものが選ばれている。
また、なにげない風景描写にはところどころ実写が混じって、キャスティングとともに「現実世界との地続き感」を醸し出す。
そこへ注入される「こんなにあるじゃん。綺麗な色が」「ひとりひとり、いろんな色を持っている」、あるいは「真が描いているのは空か海か。それは見る人の感覚によって変化する」といった、自己(人間の多様性)を肯定すべきセリフの数々。
要するに、いまここにあるのは残酷で汚い世界であり、そこに生きている君たち僕たちも汚い生き物。それこそが平凡、それこそが普通。けれど、見る角度を変えれば楽しいこともあるし美しい部分もある、すべてを受け入れたうえで、楽しいことや美しいことに価値を見出して生きていけばいい、という教訓・説教。
それを打ち出すためには、何をどう入れ込んでどうカタチにするか、ということをタップリと考え、実践もしている。主要な観客層である中高生へ向けての内容であり、だからこそアニメという表現技法が選ばれていることにも納得できる。
そういう意味でのガッシリ感に満ちた作品だ。
それはもう大人目線の、「いま悩んでいる君も君自身の一部なんだよ」という、それこそありがちなメッセージ。そんなもの、14歳や15歳にとって何の意味も成さない。
たとえば桑原ひろかの存在・生きかたなんて、当事者の真にとっては地獄にほかならず、無力感に苛まれ、僕ら大人からのどんな励ましや慰めも「お前だってあの男と同じ“大人”じゃないか」と拒絶してしまうことだろう。
けれど僕らや、この映画を作った人たちは、大人であると同時に「かつて子どもだった者」でもある。自分が考えているほどには世界も人間も美しくないことを、思い通りに行くことなんてないことを知っていて、打ちのめされながら大人になったのだ。
そういう人間から発することのできる、これが精一杯の「いいんだよ」なんである。
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