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2013/05/25

闇の列車、光の旅

監督:ケイリー・ジョージ・フクナガ
出演:エドガル・フローレス/パウリナ・ガイタン/クリスティアン・フェレール/ディアナ・ガルシア/テノッチ・ウエルタ・メヒア/ルイス・フェルナンド・ペーニャ/ヘラルド・タラセナ/ギジェルモ・ベルガス

30点満点中19点=監4/話4/出3/芸4/技4

【列車は往く、ふたりの楽園または地獄へ向けて】
 メキシコの南部、タパチュラの町。ギャング団マラ・カルバトルチャに所属する少年カスペルはボスたちに内緒でマルタと付き合っていた。いっぽうホンジュラスに暮らす少女サイラは、アメリカから強制送還された父がふたたび密入国することとなり、彼女もその危険な旅に同行する。メキシコを縦断する貨物列車の上でカスペルとサイラが邂逅したとき、その事件は起こった……。ふたりの逃避行を待ち受けるのは何か、行き先はどこか。
(2009年 メキシコ/アメリカ)

【曖昧な世界の曖昧な未来】
 曖昧なボーダー、というのが1つのテーマか。
 ギャング団に属する少年もそうでない子どもたちも、刺青以外の見た目に大きな違いはない。敵対する2つのグループも見分けはつかない。僕らにはメキシコの町もホンジュラスも差なく感じられるし、どの国境にも同じような光景が広がっている。
 そして、まったく異なる地でまったく異なる人生を送っていたはずのふたりが、列車の上という奇妙な場所で出会い、道行きを同じくし、けれど紙一重の差で運命が分かたれることになる。前に進むか後ろに戻るか、ほんの数メートルの違いが生死を分けることになる。

 幼稚さと暴力とがイコールで結ばれる世界(中米だけでなく地球すべて、人類社会すべてがそうなのかも知れない)では、どこに属していようが、自分を取り囲む環境なんてカオスという意味で等しく、その中でどう判断し、どう行動するかによって大きく未来は変わる。
 その未来も、決して明るいものばかりではないようだけれど。

 そうしたテーマ、というか「どこを舞台に、誰の何を描くか」は、正直なところ僕らには馴染みの薄いものだけれど、「どう描くか」も重視することによって興味深い作品に仕上げてある。
 たとえばストーリー。ギャング団の存在や商売、仲間意識、儀式、不法入国といったアンダーグラウンドは「当然のようにあるもの」として前提なしに置かれ、その中で特殊な存在となってしまった主人公ふたりの様子を丹念に紡いでいく構成だ。
 作りとしても「しっかり撮って、見せたいものを見せる」という手堅さをベースに、小気味のいい編集でリズム感を、自然光(あるいはその場にある光)を生かした絵や揺れるカメラでダイナミズムを創出。効果音やBGMのゆったりとしたON/OFFでカスペルとサイラの戸惑いや苦悩、希望のない現状を浮かび上がらせていく。

 遠い地の、僕らには現実離れして感じられる、ある意味では地味な物語だけれど、底辺に漂う「曖昧な世界の曖昧な未来」という悲哀と作りの確かさによって、良質な仕上がりを見せる1本だ。

●主なスタッフ
 監督・脚本のケイリー・ジョージ・フクナガはアメリカ生まれで、短編やドキュメンタリーの制作、撮影監督でキャリアを積んできた人物の模様。
 撮影は『シティ・オブ・ゴッド』の続編『シティ・オブ・メン』のアドリアーノ・ゴールドマン、編集は『unknown アンノウン』のルイス・カルバリャールと『フェーズ6』のクレイグ・マッケイ。
 プロダクションデザインはバズ・ラーマン版『ロミオ&ジュリエット』などに携わったクラウディオ・コントレラス、衣装デザインはレティシア・パラシオス。音楽は『グッド・シェパード』のマーセロ・ザーヴォス、音楽スーパーバイザーは『バベル』のリン・ファインシュタイン、サウンドチームは『SAW』シリーズのマーク・ジングラスとジョン・ライン。
 スタントは『バイオハザード3』のバロ・ブチオと『バンテージ・ポイント』のフリアン・ブチオ。

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