お家(うち)をさがそう
監督:サム・メンデス
出演:ジョン・クラシンスキー/マーヤ・ルドルフ/カルメン・イジョゴ/キャサリン・オハラ/ジェフ・ダニエルズ/アリソン・ジャネイ/ジム・ガフィガン/マギー・ギレンホール/ジョシュ・ハミルトン/クリス・メッシーナ/メラニー・リンスキー/ポール・シュナイダー/サマンサ・プライア/コナー・キャロル/ベイリー・ハーキンス/コルトン・パーソンズ/キャサリン・ヴァスケヴィッチ/ジェローム・ステーブンス・Jr/ブリアナ・ユンミ・キム/イザベル・ムーン・アレキサンダー
30点満点中18点=監3/話4/出4/芸4/技3
【ふたりの暮らすべき世界はどこ?】
30代半ばにして子を授かることになった未婚のカップル、バートとヴェローナ。いまだ生活基盤の定まっていない彼らは、暮らすべき場所と新しい生活を探して全米各地を旅することになる。バートの両親、幼馴染のLN、兄コートニー、ヴェローナの元上司リリー、妹グレイス、友人のマンチとトムなどと出会い、さまざまな夫婦や家族の暮らしを目にするのだが、そのたびふたりは将来に対してブルーな気分になっていくのだった。
(2009年 アメリカ/イギリス)
【ジス・イズ・ザ・ロードムービー】
序盤、カット数も少ないしノッペリとした流れだなぁと感じる。が、次第にその急ぎすぎないリズムと、無理に感情移入を誘わず、かといって突き放しもしない、温かくも静謐な視線が心地よくなりはじめる。
ちょっとずついろいろな現実に触れていくバートとヴェローナを、ある種の誠実さや真面目さを保ちながら、大人しくユーモラスにすくい取っていくというイメージだ。
そこで交わされる会話は、人生の悲喜こもごもと、人生に内包される無駄と大切な要素をともに短く切り取っていて、ナチュラルな空気に満ちる。セリフを発する役者たちも、それぞれの演技プランを実直かつ真っ当に表現している感じ。
そう、バートとヴェローナが出会うのは、まさに悲喜こもごもと無駄と大切な要素の数々。モノゴトは単純ではなく、変化するということも目の当たりにする。
そりゃあ「可愛くない子が生まれてきたら」なんて不安は大きいものだけれど、妊娠・出産の意味は、ただ“子どもが生まれてくる”というだけじゃない。引っ越しは大変な作業だけれど、ただ“住む家を変える”だけのものじゃない。
どちらも過去を振り返り、現在を見つめ、自分たちの未来を定め、つまりは人としてのありかたに関わってくる出来事だ。わかっていたはずなのに、バートとヴェローナは「どうすべきか」「これはイヤだ」「これはよさそうだけれど」と戸惑い続ける。
ふたりに示されるのは、夫婦、親子、家族、あるいは社会の構成要素としての彼らの将来に待ち受ける、さまざまな問題。生まれてくる子にも自分たちにも「いままでになかったこと」が起こるという現実。
どこへ向かっているのかわからない状態。それを隠喩するように、飛行機はクネクネと飛び、運転するクルマを正面から(つまり目的地の見えないアングルで)捉えるカットが多用される。
最終盤で披露される“オレンジの木”のエピソードが微笑ましい。
愛し合うカップル、その間に生まれる子ども、形作られる家族。その関係の中で、その間柄だからこそ作ることのできる大切な何か(たとえば共通の思い出)を、自然に築いていける生活。そのためにふさわしい場所はどこなのか、気持ちのいいライフスタイルとは何なのかを、バートとヴェローナは問い続け、ある場所へと行き着く。
そこを完璧な場所と評するバートに対し、ヴェローナは「I hope so」とだけ答える。だって、この家族の行く先に何が待ち受けるのか、わかりはしないのだから。
でも、それでいい。というか、夫婦や親子や家族なんてそういうものなのだと、イヤというほど思い知らされたのだし。彼らは彼らなりの場所とやりかたで、希望とともに、彼らであろうとするほかないのだ。
生きる道を見つけるために旅をする。まさにロードムービーとしての意味合いを濃密に体現する映画である。
●主なスタッフ
脚本は『かいじゅうたちのいるところ』のデイヴ・エッガースと新人ヴェンデラ・ヴィーダ。撮影監督は『エターナル・サンシャイン』のエレン・クラス、編集は『マリー・アントワネット』のサラ・フラック。
プロダクションデザインは『プラダを着た悪魔』のジェス・ゴンコール、衣装デザインは『記憶の棘』のジョン・A・ダン。音楽は『終わりで始まりの4日間』のアレクシ・マードック、音楽スーパーバイザーは『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』のランドール・ポスター、サウンドエディターは『ソルト』のポール・スー。
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