恋とニュースのつくり方
監督:ロジャー・ミッシェル
出演:レイチェル・マクアダムス/ハリソン・フォード/ダイアン・キートン/パトリック・ウィルソン/ジェフ・ゴールドブラム/ジョン・パンコウ/マット・マロイ/J・エレイン・マルコス/パティ・ダーバンヴィル/タイ・バーレル/ヴァネッサ・アスピラーガ/エイドリアン・マルティネス/ドン・ロイ・キング/ノア・ビーン/カーティス・“50 Cent”・ジャクソン
30点満点中17点=監3/話3/出4/芸4/技3
【新米プロデューサーの奮闘】
予算縮小のあおりでニュージャージーのTV局をクビになったベッキー・フラーは、全国ネット番組『デイブレイク』のシニア・プロデューサーという職を得る。が、司会のコリーンはわがまま、視聴率はどん底で、誰もがすぐにやめたがるポスト。伝説のジャーナリストであるマイク・ポメロイを新キャスターとして迎えるも、彼は朝の情報番組をバカにして非協力的だ。番組打ち切りの方針を伝えられたベッキーは奮闘を見せるのだが……。
(2010年 アメリカ)
【水準はクリアしているが】
ポール(すぐクビにされてしまうキャスター)の登場時に、もうこいつは絶対にヤな奴と感じさせる手際とか、コリーンやお天気担当レニーらのさまざまなチャレンジをポンポンと描写するところ、挿入される「番組を観ている人の驚きの表情」など、軽快な編集が心地よい。
ニギヤカかつ多彩なサントラともあいまって、切羽詰ったベッキーの奮闘ぶりをリズム/テンポよく紡いでいく。
画面の作りかたも気が利いている。水槽の中で大きくなった金魚、飛び立つハト、金の像、局の周囲にはためく『デイブレイク』のノボリ(看板番組に育った証拠だ)など、背景ぐるみで人を捉えて、状況やベッキーの心情を描き出していく。
反面、グっと寄らないのがちょっと不満。レイチェル・マクアダムスは相変わらずキュートだし(今回、意外とお尻が大きいんだなと発見)、ハリソン・フォードは終始の仏頂面(ひょっとしたらホントにやる気がないんじゃないかと思わせるくらい)が役にハマっているし、ダイアン・キートンは軽く飄々と楽しみながら演じていることが伝わってくるのだけれど、そうした主演3人の魅力・芝居をじっくりたっぷり見せる場面が少なめ。
また、ストーリーは都合がよくって予定調和的。旧来の『デイブレイク』がどれくらいイケていなかったのか、新生『デイブレイク』がどれくらい衝撃的か(日本人には、ありがちなニュース・バラエティにしか見えない。むしろマイクとコリーンのイガミアイをそのまんまフィーチャーするような作りのほうがよかったんじゃないか)といった部分の描写も希薄で、ベッキーの成功が実感として伝わってこないのがしょっぱい。
マイクが「ひたすら突っ走るベッキー」に抱く“危うさへの不安”や、彼女のおかげで「新しいニュース番組像」に目覚める様子も描いて然るべきだったはずだ。
仕事の中での自己実現というテーマは、本作と同じアライン・ブロッシュ・マッケンナが書いた『プラダを着た悪魔』と共通するものだが、あちらよりはツメの甘いお話。監督は『ノッティングヒルの恋人』のロジャー・ミッシェルだが、あちらよりは内容のある仕上がり。
楽しく観られることは確かで、この手の映画の“水準”といえるデキではあるけれど、もっともっと面白くて深いものにもできたはず、というのが実感である。
●主なスタッフ
撮影監督は『ハンナ』などのアルウィン・H・カックラー、編集は『ラブ・アクチュアリー』のニック・ムーア、『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』のスティーヴン・ワイズバーグ、『スルース』のダニエル・ファレル。
プロダクションデザインは『消されたヘッドライン』のマーク・フリードバーグ、衣装は『君のためなら千回でも』のフランク・L・フレミングおよび『クリスタル・スカルの王国』のバーニー・ポラック(ハリソン・フォード専属)。音楽は『007/慰めの報酬』のデヴィッド・アーノルド、音楽コンサルタントは『クィーン』のアビー・リスター、サウンドエディターは『ソルト』のウォーレン・ショウ。
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