メッセージ そして、愛が残る
監督:ジル・ブルドス
出演:ロマン・デュリス/ジョン・マルコヴィッチ/エヴァンジェリン・リリー/パスカル・ビュシエール/サラ・ウェイスグラス/リース・トンプソン/ブリュノ・ヴェルドーニ/ジョーン・グレッグソン/グレンダ・ブラガンザ/ロイス・デラー/モーガン・ロウチー/ソフィ・ナイト
30点満点中16点=監3/話3/出3/芸3/技4
【近づく死期に、人は何を思うか】
弁護士としてNYで働くネイサン。子どもの頃に生死の境をさまよった経験を持ち、また“死”にまつわるある出来事がきっかけで妻子とは離れて暮らす彼の前に、医師ケイが現れる。ケイは死期の近づいた人を判別でき、そうした人々が幸せな余生を過ごせるよう手助けする“メッセンジャー”だというが、もちろんネイサンは信じない。が、ケイの指し示す人がことごとく亡くなり、ネイサンは、自身にも死期が近づいていると悟るのだった。
(2008年 ドイツ/フランス/カナダ)
★完璧にネタバレを含みます★
【作る側と観る側の思いの違い】
冒頭、静かな湖畔の風景から一気に“事件”へと叩き込む展開で、タダモノじゃない映画だと知らせる。
その後も予想外のショックを散りばめつつ、あるいは回想でネイサンの苦悩を炙り出しつつ、ひたすら謎めいた雰囲気をキープ。そこにおける描写の明確な特徴が、いくつかある。
まずは、とにかくカメラがよく動くこと。登場人物たちの“行く末”を近くから遠くから見守るような視線が貫かれる。
同時に、人もまた左右へ、手前から奥へとよく動く。こちらは“行く先”に迷う人の様子を暗示しているかのようだ。
ピアノから電子音まで、頼りなく響く音楽は人の“生きざま”の頼りなさをもまた浮かび上がらせる。交差する道路、広がる地、光などを盛り込む画面は人の“進むべき道”の複雑さを表す。
と、作りとしては鮮やかなのだが、ネイサンやケイに対する作品の立ち位置のマズさが、ノっていけない原因。
こちらはハナっから「実はネイサンもまたメッセンジャー(候補)ではないか」という意識で観ている。そう考えても不思議ではない雰囲気が前半にはあるのだ。けれどネイサン自身はそれに最後まで気づかず、ストーリー自体もその事実をラストまで明かさないという構成。
この「作る側+登場人物と、観る側との思いの違い」は、早々に解消されるべきではなかったか。ネイサンと同様、観る側にも「彼に死期が近づいている」と思わせるようミスリードする(手の震えや低血糖をもっとクローズアップするなど)か、あるいはもっと早い時点で自身の役割をネイサンに気づかせるか。
ネイサン視点とケイ視点を等分に近いバランスで入れようとしたことが、こうなった理由の一端だろう。たとえばケイに見えるもの(光)を観客に見せなかったなら、全体の印象も違ってきたはず。
どうも、死期が見える人の苦悩と、死期が近づいた者の恐怖を、どちらも等しく描こうとするあまり、作品自体が“進むべき道”を失ってしまったようなイメージ。
せっかく「死後を意識するより、いまある生を謳歌することが大切」という素晴らしいメッセージのこもった作品。ちょっとした工夫で傑作になったはずと思うと、惜しい。
●主なスタッフ
撮影は『空気人形』のリー・ピンビン、衣装は『ローズ・イン・タイドランド』のマリオ・ダヴィニョン、音楽は『記憶の棘』などのアレクサンドル・デスプラ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント