ウォール・ストリート
監督:オリヴァー・ストーン
出演:マイケル・ダグラス/シャイア・ラブーフ/キャリー・マリガン/ジョシュ・ブローリン/フランク・ランジェラ/オースティン・ペンドルトン/ジョン・バッファロー・メイラー/ヴァネッサ・フェルリト/イーライ・ウォラック/スーザン・サランドン/チャーリー・シーン
30点満点中16点=監3/話2/出4/芸4/技3
【ウォール街に渦巻く愛憎と欲望】
インサイダー取引の罪による8年の刑期を終えたゴードン・ゲッコー。かつてのウォール街の寵児は、いまや欲と手を切り、サブプライム景気に警鐘を鳴らす者へと立場を変えていた。その娘ウィニーと暮らすのは有能な若き証券マン、ジェイコブ。だが彼の勤める会社は株価が暴落して倒産、恩師ゼイベルは自ら命を絶つ。株を操作したブレトンへの復讐を誓いつつ、ゴードンとウィニーの険悪な仲を修復しようと動くジェイコブだったが……。
(2010年 アメリカ)
【物語映画としての熟成に欠ける】
8年の時間経過とゴードンが一文無しであることと彼の孤独とを浮かび上がらせる出所シーンから、ビルの外をゆっくりと駆け上がっていくカメラワークまで、冒頭部には映画的(映像的)な面白さがたっぷり。その後も、細かなカットやオーバーラップ、ワイプなどで楽しく見せていく。
走り続けないと転ぶバイクや人を喰らうゴヤの絵は株取引に携わる人生の隠喩だろうし、シャボン玉でバブルは今後も続くことを示唆。そうした盛り込みも多彩。
目の前にあるものを遮二無二つかみ取ろうとする“欲”よりも、子どもあるいは孫という“未来=時間”が大切だと説くメッセージ性も悪くないし、そういう意味もあって次世代型クリーン・エネルギーが重要なハーツとして置かれてもいるのだろう。
前作『ウォール街』(観たけれど内容は忘却の彼方)との連続性をサービス精神とともにキープしつつ、前作を観ていなくてもついていけるストーリーに仕上げてある点も誠実だ。
そんなわけでしっかり作られた映画ではあるのだが、「どこに落とし込むか?」という、そもそも論で失敗しているように感じる。
最新(当時)の経済情勢やマネーゲームに興じる者のエゴ・嫉妬心・功名心に、家族間・男女間・師弟間の愛憎を絡めて人の悲哀を描こうとしているのは伝わってくるけれど、その両者のバランスが悪いというかどっちつかずというか……。
たとえばカネの動きや「何がどうなって誰がどれくらい損してどれくらいの危機なのか」「何がどう違法なのか」といったことがわかりにくい。ゴードンやジェイコブ、ブレトンらの「ウォール・ストリート・マンとしての働き」については“新聞やTVニュースを見ていれば常識として理解できるよね”というスタンスだ。
でもこのあたりって、ホントは株取引とかサブプライムローン問題に興味のない女子どもにもわかるよう描写しつつ、その中に生きる“人”をコッテリと表出させるべきなんじゃないだろうか。連中、ずっと高級なマンションに住んで高そうな酒を飲んでいて、出てくる数字は見たこともない額。マネーゲームの中に身を置く人々の卑劣さや保身にかける意識が、実感として沸いてこない。
いっぽうゴードンとウィニー、ジェイコブの関係は「その程度で仲直りするか?」とか「そもそもゴードンってホントに何を望んでいたのよ」など、釈然としない部分が多く、男どもが身勝手にしかうつらず、「愛に翻弄されるひとりの男としての苦悩」が、やはり実感として抱けない。
結果、マネーの部分とラブの部分がそれぞれ中途半端、双方が有機的に結びつくこともなく、「どこに落とし込もうとしたお話なのか?」が疑問として残る仕上がりになっているのだ。
あとは、遊びカット・雰囲気カット・セリフ量がちょっと多すぎて、1シーンクが微妙に長く感じられるのもキズ。
端々に見せかたの面白さはあるけれど、1つの物語映画としては熟成に欠けるように思えるんである。
●主なスタッフ
脚本は『悲しみが乾くまで』のアラン・ローブ。撮影は『バベル』などのロドリゴ・プリエト、編集は『ワールド・トレード・センター』のジュリー・モンローとデヴィッド・ブレナー。プロダクションデザインは『レボリューショナリー・ロード』のクリスティ・ズィー、衣装は『クローバーフィールド』のエレン・マイロニック。
音楽は『Ray/レイ』のクレイグ・アームストロング、サウンドエディターは『ウォンテッド』のワイリー・ステイトマン、VFXは『2012』のポール・グラフ。
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