鑑定士と顔のない依頼人
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
出演:ジェフリー・ラッシュ/ジム・スタージェス/シルヴィア・フークス/ドナルド・サザーランド/フィリップ・ジャクソン/ダーモット・クロウリー/キルナ・スタメル/リヤ・コベード/ジョン・ベンフィールド
30点満点中17点=監3/話2/出4/芸4/技4
【ある鑑定士と依頼人の謎めいた関係】
高名な鑑定士であり、オークションの進行でも辣腕を振るうヴァージル・オールドマン。傲慢にして潔癖症、女性にほのかな恐怖心を抱き、けれど秘密の部屋いっぱいに飾られた無数の女性肖像画に囲まれてグラスを傾けるのが至福のひとときだ。そんな彼が新たに受けた仕事は、あるヴィラに集められた遺品の査定。だが依頼人=クレアは壁の中に閉じこもったまま顔を見せようとしない。次第にクレアに興味を持ち惹かれていくヴァージルは……。
(2013年 イタリア)
★ネタバレを含みます★
【売りかたの難しい映画ではあるけれど】
本作の売り文句は「トルナトーレが仕掛ける極上のミステリー」。トレーラーでは“すべての謎が”とか“衝撃”といった言葉が躍る。当然ながら、どんでん返しへの期待はふくらむわけで。
あの人とあの人は実はつながっているんじゃないか、この人は後々重要な役目をきっと果たすはずだ、実はこの人の目的はこれこれこうだろう、でもそれじゃあいくら何でも安っぽいからなぁ、などと、見えている出来事の裏の裏の裏くらいまで考えつつ観たりして。
最終的には「どうせアっと驚かせてくれるだろうから、無駄な裏読みはせず見えているものに身をまかせよう」と覚悟する。
で、終盤、明らかとなる真相……。えっ? そ、そうなんですか?
いや、衝撃的どんでん返しに驚いてるわけじゃない。あまりに予想の範囲内、登場人物がひと通り出そろった段階で誰もが最初に思いつく「裏があるとしたらこうだろうな」的展開へ突入していく肩透かし感。よって「え?」と戸惑うのである。
いや、映画としてはガッシリとできている。
冒頭、ヴァージルの鑑定士としてのセンスや、傲慢さ、潔癖症であることなどを流れるように見せる技が秀逸。以後、女性に屈折した思いを抱く彼と顔を見せない依頼人との“純愛ストーリー”が丹念に紡がれる。
感情の振幅を見事に表現しきった主演ジェフリー・ラッシュの演技は実に素晴らしいし、ラスト、まるで自らの人生を追体験するかのようにグルングルンと振り回される姿が痛々しい。
またクレア役シルヴィア・フークスの儚げな美しさも本作になくてはならない要素。ひょっとすると彼女の立場でもう1回観たら、新たな発見があるかも知れない、と思わせてもくれる。
スコープ・サイズの画面をフルに生かした絵作りは見ごたえがある。カチカチと響く機械の作動音、足音や木の軋み、叫び、舞台に流れる音楽とサントラとSEを融合させる場面など、音作りは立体的で生々しさもある。
そして、あの部屋を作り上げた美術スタッフの仕事も称えたい。
出来事を順番にほぐしていけば、各所に伏線らしきものがちゃんと散らしてあることはわかる。「これこれこうでした」とすべてをセリフで説明してしまう愚に陥っていない点も評価できる。宣伝文句通り、確かに“切なさ”もある。丁寧に作られていることは間違いない。
それだけに余計、ミステリーとしての古臭さというか、「こうなるような気がするけれど、でも安っぽいし、いまさらそれを“どんでん返し”といわれてもねぇ」的まとめへと収束させるストーリーに戸惑うのだ。
あの人とあの人とあの人が通じているってのを、「あっ、そういえば!」と“発見”させないとアンフェア(もう1回観れば気づくのかなぁ)だとも思うし、ヴァージルがクレアにシンパシーを感じていく過程と、でもそれを自分で認めたくなくてオートマタの部品探しを言い訳にしてヴィラへ通い詰める、という流れ=それこそが彼らの狙い、という描写も、もうちょっとあってよかったのではないか。
その絵の値打ちが上がる前に自分で買う、というのはいいとしても、「値打ちがない」と嘘をつくのって鑑定士にあるまじき行為、彼の社会的地位を考えても疑問が残る。
つまり、どんでん返しミステリーの真相部分のマズさだけでなく、観客をミスリードする技の部分にも薄さがあり、細かな部分に対するストーリー的な配慮が不足していたように感じるのだ。
ああ、でも結局は“売りかた”の難しい映画だったってことなのかなぁ。
たぶん多くの人が「映画としては面白いが、ミステリーとしては二級」と感じるのではないか。だから、もうちょっと“売りかた”は何とかならなかったものかという口惜しさが募る作品である。
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