スノーピアサー
監督:ポン・ジュノ
出演:クリス・エヴァンス/ジェイミー・ベル/オクタヴィア・スペンサー/ユエン・ブレムナー/ソン・ガンホ/コ・アソン/ティルダ・スウィントン/アリソン・ピル/ルーク・パスクァリーノ/クラーク・ミドルトン/ヴラド・イヴァノフ/アドナン・ハスコヴィッチ/ケニー・ドーティ/スティーヴン・パク/エマ・レヴィ/トーマス・レマルキス/ポール・レイザー/マークアンソニー・レイス/ショーン・コナー・レンウィック/ジョン・ハート/エド・ハリス
30点満点中19点=監3/話3/出5/芸4/技4
【先頭を目指す革命】
温暖化解消のため全世界に撒かれた薬品は大規模な氷河期を招き、人類を絶滅させた。生存しているのは、1年をかけ地球を一周する列車の中に暮らす人々のみ。その車内では、配給されるプロテインブロックで飢えをしのぐなど苦しい生活を余儀なくされる最後尾の者たちが、エンジンを統べるウィルフォードら前方車両の住人に不満を募らせていた。ついにカーティスらは車両間の扉を次々と突破、先頭を目指す革命を断行するのだが……。
(2013年 韓国/アメリカ/フランス/チェコ)
★ネタバレを含みます★
【ディストピア脱出譚の、ひとつの地平】
スゴイ映画だなぁ。
作劇のベースは『死亡遊戯』を横に倒した面クリ型アクション。それを貫くことで巷間いわれる“明快さ”を実現している。
が、陰には独裁者のエゴによって作られた隠し設定的社会システムという王道のSFファクターを置き、『ソイレント・グリーン』や『2300年未来への旅』、『アイランド』や『オブリビオン』あたりを想起させる。さらには扉を開ける=『CUBE』っぽさもあるし、ニュータイプらしき概念が織り交ぜられ、追ってくる不死身の殺し屋は『ターミネーター』。機械に潜り込む少年の姿には『GANTZ』がカブる。
なんだこのディストピアネタのテンコ盛りは。
いっぽうでティム・バートンの躁もある。芝居の要求や撮りかたにはコメディ寄りの部分も多い。出演シーンの長さや物語から去る(死ぬ)タイミングはギャラもネームバリューも関係なしだ。
なぜ子どもたちは大した抵抗もなく前方車両へ行くのか? やっぱ主人公は死にそうで死なないな。だいたい、バイオスフィアとしても機能する地球一周超特急なんか無理やりな設定だろ。と、突っ込みどころ満載。昼間か深夜のドラマまたはアニメ級。
かと思えば、述べられているテーマは意外とシビア。格差社会や自分で自分の首を締めつつある文明といった問題へと抉り込んでいく。
つまりは倒錯。登場人物の国籍や飛び交う言語からもわかる通りの、カオス。冒頭で一気に舞台背景を説明する安っぽさも含めて、こんなもん、6点満点で1点をつけたくなるしっちゃかめっちゃかなシナリオだ。
ただ逆に、その潔いまでの弾けっぷりというか、やりたいことをこれでもかと詰め込み、けれど一線は踏み外さずSFであることに徹し、と同時にわかりやすさにも配慮しつつ、スリルとミステリーと苦悩とを持続させる。
ブラックがカウンターで寿司をにぎってアイルランド系と韓国人に食べさせるんだもの(スコットランド人は食えず)。白人先生が某国よろしく独裁者を称えるお遊戯しちゃうんだもの。
勢いで6点満点を与えたくなる突き抜け感。
腹に一物いだくソン・ガンホ、静かなジョン・ハート、斜に構えたエド・ハリス、怒れる母親のオクタヴィア・スペンサーと、賞レース常連のオッサン&オバサンたちがしっかりと己が役を演じ切るわけだが、その安定した支えの上で、若い人たちも魅力を放つ。
久々に見たコ・アソンは、やっぱり可愛い。小学校教師のアリソン“顔センター”・ピルは、ちょっとイカれたコメディエンヌのイメージに薄っすらとした狂気をまとう。ヴラド・イヴァノフの、どこにでもいる風体なのにぐんぐん迫る不死身っぷり、というギャップも楽しい。
クリス・エヴァンスには驚かされた。過去作とはまるっきり異なる風貌と立ち居振る舞いで、カーティスという人物をまっとうする。
そして、有無をいわさぬティルダ・スウィントンの凄み。どこまで本気なんだ、この人は。『レモニー・スニケット』のジム・キャリーに匹敵する、滅茶苦茶なまでの大暴走だ。
そんな、ストーリーとキャストのサイケデリックかつクレイジーなエクスプロージョンを、ガッチリと撮り切る。
ほぼすべてが走る列車内。なのに、湿度とホコリと錆臭さの最後尾から、プラント、温室に水族館に60~70年代欧米風な一等車にクラブ、そしてエンジンルームと、イメージが固定されない美術プランの力強さ。その中で多彩な展開を連続させ突き進む躍動感。
揺れまくる。暗い。汗臭い。出ている連中も画面も決してカッコよくはない。けれど狭い範囲での肉弾戦をスローと鋭角的スタントのハイブリッドで描き、説得力のある衣装やフレーバーの効いた音響効果で魅せる。
ピアノをメインにフィーチャーした音楽がしっくりと馴染まないシーンはあるものの、全体として骨の太さを感じさせる仕上がりだ。
こうして、いかにもコミック的なぐちゃぐちゃが見事に映画へと昇華。加えて、本作を単なるB級怪作にとどめず、記憶に残る1本へと押し上げるアイロニーが、ここにはある。
これまでポン・ジュノ監督作品は“人の中身”を掘り起こす方向で作られていたように思う。ところが今回は、みなどこか記号的な人物たちだ。革命者と支配者、裏で糸を引く者、痛みを思い出させる存在、復讐者、傀儡、殺し屋……。それぞれがそれぞれの役割を果たしながら物語は進んでいく、というカタチ。
そう、ウィルフォードのいう「人にはそれぞれ持ち場がある」を体現するかのごとく登場人物が配されているのだ。
それをウィルフォードは自身の配材によるものと自負するが、彼を含め列車内における個々の持ち場/役割/機能を守ろうとする者も、打ち破ろうとする者も、結局は“人類という種における持ち場/役割/機能”をリスタートさせ新時代のアダムとイブを生み出す、より大きな物語のための駒に過ぎなかったのではないか、そう感じさせるエンディング。
『クラウド アトラス』で触れた「人の生きざまは、どこまでプログラミングされているのか?」という命題に突っ込んでいく。
ひょっとすると温暖化解消のためにCW-7が撒かれたところから、大いなる意志によってもうこのストーリーは始まっていたのかも知れない。なんて想像をかき立てる、カオスの向こうにカオスが待つ映画である。
●主なスタッフ
脚本/ポン・ジュノ『母なる証明』
脚本/ケリー・マスターソン『その土曜日、7時58分』
撮影/ホン・ギョンピョ『タイフーン』
美術/オンドレイ・ネクヴァシール『幻影師アイゼンハイム』
衣装/キャサリン・ジョージ『終わりで始まりの4日間』
ヘアメイク/ジェレミー・ウッドヘッド『クラウド アトラス』
音楽/マルコ・ベルトラミ『キャリー』
音響/ティモシー・ニールセン『プリンス・オブ・ペルシャ』
音響/チェ・ソンロク『復讐者に憐れみを』
音響/デイヴ・ホワイトヘッド『エリジウム』
SFX/パヴェル・サグナー『バビロンA.D.』
VFX/ヴィクトル・ミュラー『デビルクエスト』
スタント/パヴェル・カイズル『ゴースト・プロトコル』
スタント/ジュリアン・スペンサー『28週後』
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