ロード・トゥ・パーディション
監督:サム・メンデス
出演:トム・ハンクス/ポール・ニューマン/タイラー・ホークリン/ダニエル・クレイグ/スタンリー・トゥッチ/ジュード・ロウ/ジェニファー・ジェイソン・リー/リーアム・エイケン/キアラン・ハインズ/ディラン・ベイカー/デイヴィッド・ダーロウ/ケヴィン・チャンバーリン/ダグ・スピヌッザ/デュアン・シャープ/ダイアン・ドーシー/ペギー・ローダー/ジェームス・グリーン
30点満点中19点=監4/話3/出5/芸3/技4
【父と息子たち】
1931年。マイク・サリヴァンは街を裏で仕切るジョン・ルーニーから息子同前に育てられ、いまは彼の片腕として信頼厚き存在となっていた。だが12歳の長男マイケルが父マイクの“仕事”を目撃したことで事態は狂い始める。ジョンの実子コナーとの軋轢からサリヴァン家は不幸に見舞われ、追われる身となったマイクとマイケル。復讐に懸ける執念と、息子に自分と同じ道を歩ませたくないという葛藤の中で揺れるマイクがたどる道は……。
(2002年 アメリカ)
【破滅の向こうにこそ光がある】
光と影を静かなアングルで切り取るカメラが美しい。
序盤、幸せに見える生活の舞台=サリヴァン家の廊下は暗く沈み、一転してラスト近く、不幸な死は明るく輝き、現在と未来の皮肉な“ねじれ”を表現する。
そこに乗っけられる音楽は、全編に渡ってやや大仰に響きすぎるきらいはあるけれど、引き返すことのできない悲劇をしっかりと彩る。当時を再現した美術、衣装、VFXも見ものだ。
そうした外枠の中で、ゆっくりかつ力強く演技が繰り広げられる。
ダメ息子を若々しく精一杯演じるダニエル・クレイグ、「こんなメンバーと仕事ができるなんて」という喜びどころか緊張感まで伝わってくるスタンリー・トゥッチ、マイペースなジュード・ロウらもいいけれど、やはり中心にいる3人が本作最大の御馳走か。
トム・ハンクスとポール・ニューマン、御大おふたりの芝居力は、いわずもがな。裏社会において重要視されるのは利権や名誉欲・出世欲といった下世話なものではなくて、恩義とか、筋(すじ)といった、人間社会を形作るために必須とされる根源的なマインド。あるいは、それより深い人としての性(さが)。そういう立場でしか生きようがない、そういう価値観と運命のもとに生まれてきてしまった現実。そんなことが自然と滲み出してくる。
そこに堂々と加わるタイラー・ホークリン君。演技というより存在感・空気感で見せるイメージだけれど、これまたナチュラルに、孤独とは特定の誰かから除け者にされることではなく、世界のすべてから見放されたように感じること、という深い想いを表出させる。
トム・ハンクスもポール・ニューマンも、彼の佇まいに感化されたか、若い者を引っ張っていこうなんて余裕は封印、対等の芝居で挑もうとしているように思える。
そうした各パーツが一体となって画面に“馴染む”様子が素晴らしい。
お話の中身を語ると“そもそも論”に行きついてしまいそうだけれど、その薄汚れた世界の中で、自分にとって最大最高の筋(すじ)を通すために何ができるか、何をしなければならないかを、丁寧に見せていく。
マイケルから見た父マイクは本来なら忌み嫌うべき存在でありながら、それでも父として認めるのは、その「筋(すじ)を通した」こと(もちろん自分を守ってくれたこと、深く理解してくれていたことを含めて)に対する理解と感謝の表れなのだろう。
もちろんそれはPERDITION(破滅・地獄)への道行きなのだが、その道程を恐れず突き進み、その向こうにこそ解放が待っていることを知る悲しき男たちの物語を、しっかりと描いた佳作である。
●主なスタッフ
脚本は『ウルフマン』のデヴィッド・セルフ。撮影は『アメリカン・ビューティー』のコンラッド・L・ホールで、本作でオスカー受賞。編集は『裏切りのサーカス』に参加したジル・ビルコック。
プロダクションデザインは『007/慰めの報酬』のデニス・ガスナー、衣装は『デュプリシティ』のアルバート・ウォルスキー。音楽は『アジャストメント』などのトーマス・ニューマン、サウンドエディターは『エンジェル ウォーズ』のスコット・ヘッカー。
SFXは『ザ・タウン』のアレン・ホール、VFXは『エラゴン』のマイケル・J・マカリスター、スタントは『ヒューゴの不思議な発明』のダグ・コールマン。
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