エッセンシャル・キリング
監督:イエジー・スコリモフスキ
出演:ヴィンセント・ギャロ/エマニュエル・セニエ/デヴィッド・L・プライス
30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3
【ひたすら男は逃げ続ける】
アフガンの岩地を極秘裏に進む3人のアメリカ兵が、ある男の撃ったランチャーによって爆死する。男はすぐさま米軍に捕えられて収容所へ、収容所から輸送機で某国へ。だが彼らを乗せた車が事故に遭い、男は夜の雪山へと投げ出される。そこからは、ひとり雪原と森を往く逃避行。追っ手や野犬に怯えながら、アリや木の皮まで貪りながら、男はいまいる場所も行く先も逃げ切れる可能性すらもわからぬまま、ひたすら駆け続けるのだった。
(2010年 ポーランド/ノルウェー/アイルランド
/ハンガリー/フランス)
【シンプルさの向こうにあるテーマ】
ああ、この監督って『アンナと過ごした4日間』の人か。あちらの感想をまとめると以下の通り。
役名のある登場人物は限られる。ドキュメンタリー・タッチで押し通してもよさそうな作品だが意外とカッチリ劇映画している。リアルタイムの出来事に過去を織り込んで物語を解きほぐす。長めの1カットに行為や感情を凝縮させる。絵画的な映像とそれに応えるロケーション。ノイズとの境目がないBGM。抑えられたセリフ量。
それらによって密度と生々しさを作り、「歴史的大事件とパーソナルな倒錯とをニアリーイコールで結びつける現代的戦争映画」に仕上げる。
本作もほぼ同様。個々の要素にはさらに拍車がかかったか。
手持ち近接でドキュメンタリー風に撮ったかと思えば、カットは意外と細かく割られて演出の存在を感じさせる。釣り人の背後から忍び寄る男の姿を長回しで押さえて「何が起こるか」とゾクゾクさせたり、POVやヘリ1機vs逃げるひとりといった大胆な絵も見せる。
サントラは男の興奮と恐怖と失意をそのまんまSE化したような音。意味のあるセリフというか、物語を進めるためのセリフは皆無だ。
場所不明(ポーランドのようだが)、目的地もセーフティゾーンもない男の道行きは、確かにスリリング。犬がいっぱい寄ってくるのは、そりゃあ怖いだろう。乳飲み子を抱えた婦人の場面では「その発想はなかった」と驚嘆させられるのだが、つまりはこれが狂気という名のリアル。
題材的には徹底して男目線で進めてもいいはずなのに、そこには執着せず無理もせず、米軍サイドからの視点も盛り込むなど、考えようによっては掟破りというか、純エンターテインメント劇映画寄りの構成と作り。
正直どこまで計算して撮っているのかわからないのだけれど、全編にパワーと、いたたまれないほどのギシギシ感がみなぎっているのは確か。80年代あたりだと『必死!』なんていう邦題をつけられそうな雰囲気で一気呵成に見せ切る。
ある意味でこれは、映画の理想像なんだと思う。だって字幕がいらないんだもの(そもそも男にセリフはないし。本来ならアラビア語部分以外は字幕なしで押し通してもよかったはず)。
男の役名はムハンマドとクレジットされているようだが、実質は名なし、んなことはどーでもいい的な展開で、淡々と激しく、男の逃避行は続く。
で、それだけシンプルな分、出来事とか男の行動原理とかを超えて、観る者の思考は「そもそもの始まり」へと向かう。なぜ男は追われなければならなかったのか、と。
やはり「歴史的大事件とパーソナルな倒錯とをニアリーイコールで結びつける現代的戦争映画」なんである。
●主なスタッフ
共同脚本のエヴァ・ピャスコフスカも撮影のアダム・シコラも『アンナと過ごした4日間』と同じ。
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